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2018年03月23日07:11

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「生活保護」の目的

 「保護」が目的ならごちゃごちゃ言わずに「健康で文化的な最低限度の生活」を保証すれば良いし、「自立」が目的なら生活保護費の支給が不要になるまできちんと自立のための面倒を見れば良いでしょう。どちらが目的なのか、で支給する態度は全然違うはずです。

【ただいま読書中】『社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた』スディール・ヴェンカテッシュ 著、 望月衛 訳、 東洋経済新報社、2017年、2200円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4492223770/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4492223770&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=f938f9dbc69233011bc139d8992b0961
 『ヤバい社会学』でシカゴの裏社会を社会学者としてみごとなレポをした著者は、こんどはニューヨークに出てきています。こちらでも裏社会(特にアングラ経済)をターゲットとして調査しようという目論見ですが、シカゴで有効だった「縄張り」「地域」「コミュニティー」というキーワードが、ニューヨークでは一切機能しません。シカゴと違ってこちらでは「境界線を乗り越える動きと変化」が重要なのです。そして「コミュニティー」とは「その人が持っている付き合いの範囲全て」を意味しています。
 著者は、これまでに築き上げた社会学の方法原理をすべて捨てることを強制されます。でなければ「なぜヤクの売人が画廊にやって来るのか」「裕福な銀行マンの高学歴の娘がなぜ売春の仲介をやっているか」などが説明できません。そこで著者が使うキーワードは「ネットワーク」。「起業家精神に満ちた人たち」が普通はそこにあるはずの「境界」を軽々と越えての偶然の出会い、それこそが「チャンス」なのです。それは同時に、著者が自身の回りにめぐらした「境界」を自ら破壊し、ニューヨークで過ごした5年間での出会いをどのように読み解くかを解明する必要があることを意味しました。著者は「ニューヨークのアングラ経済の物語」と同時に「自分自身の物語」を理解しなければならなくなったのです。
 現実を論じる「学問」では「n(調査集団の母数)」が重要です。社会学の場合も一人や二人を深く知っただけで「社会」を論じることはできません。しかし、著者はシカゴの時と同じく「現場」を重んじます。単にアンケート用紙を配ってその回答を統計学的に処理するだけでは「社会」特に「アングラ社会」は見えない、と信じているからです。しかし、たまたま知り合った人や紹介された人はその社会の「典型例」でしょうか? ともかく著者はニューヨークを「たゆたい」始めます。
 「法律の裏をかいてシノギに精を出し、警察と税務署の目を逃れ続ける」のは下層階級のアングラ経済のように見えます。しかし著者は、それをまるで「スポーツ」の様にやっている上流階級のぼんぼんたちがいることを知ります。どん底では「生きるため」「のしあがるため」にやっていることは、てっぺんでは「スポーツみたいなもの」ですが、ことの本質はほぼ同じです。ついでですが、どん底の人は(表の)仕事が手に入らず、てっぺんの人は仕事をする必要が無いのですが、どちらも「仕事をしていない」点もまた同じだったりします。
 そういえば、日本文化は酔っ払いに寛大で、だから欧米とは違って日本の酔っ払いは平気で人前で小間物屋を展開する、なんて話を以前聞いたことがありますが、本書では「上流階級に属するニューヨーカー」も平気で嘔吐をしまくっています。おやおや、「社会学」ですね。
 「境界」を本気で越えようとするラテン系の春売り娘は、お金持ちで白人の買春客を相手にするためには「シロい話し方」「シロい振る舞い」さらには「シロいセックスのやり方」を学ぶ必要があります。境界を越える勇気と行動力があり、さらに学ぶことができれば、彼女は自身の「アメリカン・ドリーム」を掴むことができるかもしれません。
 さらに著者は「新しい切り口」を得ます。「社会階層や人種を越えた新しい結び付き」が生じたら、そこには当然トラブルも発生します。それを誰が迅速に円満に解決するか、という問題です。司法をアテにしている人などほとんどいない社会で、解決能力を持つ人は、それだけで一種の「権力者」なのです。では著者の「立場」は? シカゴでは著者は「貧乏な大学院生が研究テーマに困ってうろうろしている」という立場で動きました。ではニューヨークでは、どうしたら「てっぺん」にも「どん底」にも白人にもラテン系にも黒人にも「そこにいても良いよ」と言ってもらえる「立場」になれるでしょう?
 そこで著者が見つけた「自分の立場」は……いや、たしかにこれまで散々「伏線」は張ってありましたよ。それにしても「コロンビア大学の終身職の教授」としては「イカガナモノカ」と権威筋には言われることが必至のものです。それでも「研究」は上手く転がり始めます。ストリップ小屋のマネージャー、デートクラブのマネージャー、高級売春婦、さらには買春客にまでインタビューのネットワークは広がっていきます(本当はそこに「著者自身」も入っているのですが、その時著者はそのことに気づいていません)。
 セックスと金と暴力、著者はどこにインタビューに行ってもそれに出会います。ニューヨークの社会は、表も裏もこの3つだけで成立しているのか、と思うくらいです。そして、著者は燃え尽きてしまいます。「ぼくは終わった」。この言葉が繰り返されます。深淵を覗く者は深淵に覗かれる、なのかもしれません。だけど、その時に「ぼくは終わった」が「ぼくは変わった」に変換されます。この変換の場面は、けっこう感動的です。使われる言葉はスラングばかりでとっても汚いんですけどね。
 「境界を越える」は「ニューヨークのアングラ経済の物語」と「著者自身の物語」の「境界」を越えることも同時に意味していました。そして、「グローバリズムの世界」では、あなたも私も同じような体験をしなければならなくなるのかもしれません。


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