姉貴が検査入院したので調布の病院に付き添いに行く。わが団地のバスはこの頃時間通りに来ないので、予定していた特急電車を逃し、かなりの遅れを覚悟したが、5分程度の遅れですんだ。しかし2時間半近くに及ぶイライラは耐え難いものがあった。
姉が検査に入ると暇なので、私は彼女のベッドに腰掛けてアウグスティヌスの『告白』を読んでいた。姉はクリスティアンであるので見つかってはまずい。私が改宗したと喜びかねない。絶対に読まないと思っていた本だが、ハンナ・アーレントを読んで一度は読んでおく必要があると思ったのだ。
非常に面白い。常に神を讃えながらであるので、文章に埋め込まれた聖書の引用は半端でなく多い(注のほとんどはその引用箇所の指摘である)。にも関わらず中身は面白い。根源的に哲学的な発想をする人であることに加え、詩文の天才だからだろう。それに聖書そのものが文学的に非常にすぐれていることも否定できないので、それらが散りばめられていれば魅力的な文章になるのは自然のなりゆきである。教父だからといって教条的に語るのではなく、信仰という点では最もはずれた道を歩んだ人間が心から帰依するようになった過程が描かれているので真実味がある。一方、私も年とったせいか、無神論者だからといって相手の言うことにいちいち食ってかかる元気もなく、意見は違うが親しい友人の言うことを聞いているような気分である。
行きの電車は時間が気になってろくろく読めなかったが病院の待ち時間と帰路はひたすら読んで『世界の名著』判540ページのうち三分の一くらいを読んだ。このスピードは思想書としては異例で、それだけ読みやすいということだろう。私も若い頃、宗教に走りそうになったことがあるが、ある一線を越えられなかった理由は、この書を読むとよくわかる。信仰というのは、その境界線をまたぐかどうかの問題なのだろう。気付いているか気付いていないかは別にして。
どうして神は時間を創ったのか、はまだ出てこない。
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