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2018年03月01日07:12

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万歳

 為政者が名君だったら国民は自然発生的に「万歳」とか「千代に八千代に」と言いたくなるでしょう。暗君だったら支配される側はそんなことは言いたくないでしょうが、支配する側は強制的に言わせたくなるでしょう。暗君は「強制」が大好きですから。だけど大切なのは「名君かそうではないか」であって「万歳」とか「千代に八千代に」は“その結果"であることです。それを逆転させて「万歳」「千代に八千代に」と褒め称えることを強制しても暗君が名君になるわけではありません。
 北朝鮮のニュース画面を見ていて、そんなことを思いました。
 それとも、北朝鮮の人びとは、あの一族が名君揃いだと本当に心の底から実感しているのかな? 世界史を見ると「三代続けて名君」は非常なレアケースなんですが。

【ただいま読書中】『ふしぎな君が代』辻田真佐憲 著、 幻冬舎新書384、2015年、860円(税別)
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 国歌「君が代」について「整理」をした本です。6つの疑問、1)なぜこの歌詞が選ばれたのか 2)誰が作曲したのか 3)いつ国歌となったのか 4)いかにして普及したのか 5)どのように戦争を生き延びたのか 6)なぜいまだに論争の的になるのか をそれぞれ論じ、最後に「国歌だから批判せず歌うべきだ」の肯定論や「軍国主義を煽った歌だから排除すべきだ」の否定論でもない第三の道を提示したい、と前書きに書いてあります。
 あ、3)については私はある程度知っている、と思いましたが、読む前からいろいろ判断するのはやめましょう。著者は「まずきちんと知ってから論じろ」と言っているのですから。
 「歌詞」選定については、8つの説があるそうです。古歌「君が代」と琵琶歌「蓬莱山」が関係していることは確かなようですが、誰がどのように決定したのかが不明なのです。開国をして外交使節がやって来て相手国の国歌の演奏が必要なことがわかり、さらに「日本の国歌」の演奏も必要なことがわかったけれど、そんなものはありません。そもそも「国歌」という概念さえありません。大急ぎで準備をしたため、その過程の記録がいい加減になったのかな。
 古歌「君が代」は古今和歌集の賀歌にありますが、筆写ミスのためか、3つのバージョンが現存するそうです(しかもそのどれもが、現在の「君が代」の歌詞とは微妙に異なります)。
 著者は言葉通りに歌詞を解釈する立場で、「千代に八千代に」は「千年も八千年も(つまりは永遠に)」でそのあとに「ましませ」が省略されていて、さざれ石の部分はレトリックでやはり「永遠に」という意味だ、とします。つまり「細かい石が大きくなって苔が生える」なんてことがないのと同じように、「君が代」もまた永遠に続くように、という意味だ、と言うのです。で、これは本居宣長の解釈と同じだそうです。ということは、「さざれ石が大きくなって苔が生える」なんて事態が出来すると、これは双六で言ったら「あがり」ですから、この歌の前段の「永遠に」が否定されちゃうことになるそうです。
 この歌で面白いのは「君」に誰でも当てはめることが可能なところです。だから,徳川幕府でも、豊臣秀吉の前でも、それより前の時代の豪族や貴族の宴席でも、この歌は高らかに歌われ続けていたそうです(著者は楽しそうに史料を様々掘り出してくれます)。それが明治時代に「国歌」になったとき「君」は「天皇」のことだけを意味するようになりました。
 「歌詞」の次は「曲」です。英国人フェントンは海軍軍楽隊のために大急ぎで「君が代」の作曲を行いました。しかしそのヴァージョンは短命で、すぐに次のヴァージョン(現在の曲)に入れ替えられてしまいました。フェントンの曲の楽譜が掲載されていますが、これは確かに無理ですわ。二分音符ばかりが延々と並んで単調ですし、メロディーが日本語のことばの流れを全く無視していて、実際に歌ってみたらぎくしゃくして脳が何回も躓きました。そこで「日本の音節(特に雅楽)」を用いた“新曲"を作るべし、という提案がなされます。そこにドイツからエッケルト(音楽大学卒業)が来日。来日後20年間日本の洋楽を育て、彼が作曲した葬送行進曲「哀の極」は昭和天皇の大喪の礼でも演奏された、という人です。宮内省雅楽課が試作したいくつかの「君が代」の中からエッケルトが一つを選択して洋楽用に編曲した、これが現行の「君が代」ということになるようです。なお作曲者は「林広守」が通説ですが、彼は雅楽課の代表名義人で、実際の作曲は下っ端の奥好義が行ったようです(これも確定的な史料が残されていないので、推定がけっこう入っています)。
 ここまで動いていたのは、海軍省と宮内省でした。ところが陸軍省や文部省でも、「国歌」を作ろうと独自の動きをしていました。陸軍省が候補とした「扶桑」は、メロディーはわかりませんが歌詞はまるで軍歌です。フランスの「ラ・マルセイエーズ」を意識したのかな? 文部省は海軍省の“強敵"でした。文部省がその気になったら全国の全生徒に「新しい国歌」を刷り込むことが可能ですから。ただ、1882年の文部省唱歌に「君が代」はありますが、これは西洋のメロディーに日本の古歌を“替え歌"として当てはめただけに見えます。文部省が本気になったのは同じ1882年で「国歌選定」を始めます。候補となったのは4曲。ところがこの選定作業中に「国歌按」はなぜか「明治頌」に路線変更。一応完成はしますが、誰も歌う気になれないくらいの巨大長篇重厚長大なもので、全然普及しませんでした。だからと言って文部省が「海軍省のを国歌として認める」とは言わないものですから、結局「海軍省の君が代」と「文部省の君が代」が平行して残ることになってしまいました。
 1890年教育勅語発布。翌年から祝日大祭日には学校儀式で唱歌を歌うことになります。選定されたのは13曲ですが、その中に「君が代」が2曲入っています。当然「海軍省版」と「文部省版」です。ただし海軍省版の「君が代」は13曲のリストのラストにとってつけたように置かれただけで、このリストを見るだけで「文部省の意図」はわかります。しかしそこから海軍省版の巻き返しが始まり、1893年の文部省選定「祝日大祭日歌詞竝楽譜」八曲のトップを海軍省版君が代が占めることになりました。文部省の屈服です。しかも、他の曲はすべて歌うべき場面や日の指定がありますが(たとえば「勅語奉答」は教育勅語奉読後に歌います)、「(海軍省版)君が代」にはそういった指定が一切ありませんでした。つまり、この時点で「(海軍省版)君が代」は事実上の「国歌」になった、と言える、と著者は主張しています。
 さて、そこから「普及」の問題が始まります。日露戦争開戦当時「『皇室の歌』であって『国歌の歌』ではない」という批判がされました。もっとも君主国では皇室(王室)賛美は当たり前なんですが(たとえばイギリスの国歌は(法律で制定はされていませんが)「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」です)。また「平和的」「陰気」という批判も。勇ましい歌が好きな人にはお気に召さなかったようです。ただ、当時すでに勇ましい軍歌がたくさんありましたから、“需要"はすでに満たされていたようです。ちなみにそういった「新聞などの批判」には「代案」はありませんでした。それはつまり「君が代」が「国歌」としてもう定着していたからかもしれません。国は公式には「国歌」として宣言はしていませんでしたが、国民の側は勝手に「国歌扱い」をしてどんどん普及させていきました。ただし、大正期には皆が勝手に歌っていて、「歌い方の統一」ができたのは昭和初期だったようです。その頃には「海外で『君が代』が高く評価されている」と言うことでその“価値"を確認しようとする人たちも登場しました。「いいね!」が(特に海外のものが)欲しい心理は、昔も今も変わらないようです(2014年の『ジャパンクラス』という雑誌で「なぜ『君が代』は世界中で絶賛されるのか?」という特集が組まれた、という話で私は不覚にも吹いてしまいました。1912年の『音楽界』の「日本国家『君が代』について現代音楽大家の所感」という欧米人による君が代礼賛オンパレード特集紹介と並べてあったものですから)。
 戦時体制下で君が代は「厳粛さ」をまとい、敗戦でその権威は揺らぎます。「天皇礼賛」を戦前に強調したことのツケが敗戦後に回ってきたのです。しかし、君が代は生き延びました。アンケート結果を見ると、現代日本で「君が代」は「消極的肯定」の対象のようです。しかし、昭和37年の調査で「歌詞の意味がわからない」が多数、というのには、著者だけではなくて私も驚きます。
 本書の最後の著者の結論(絶対肯定でも絶対否定でもない「第三の道」)に、賛成する人も反対する人もいるでしょう。ただ「何かを論じるためには、まず知るところから始めろ」という著者の態度に反対する人はあまりいないはず。だって「知らないもの」についてエラそうに論じることはできませんもの。おっと、よく知っていたって「エラそうに論じる」のはあまり美しい態度ではありませんでしたね。


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