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2017年12月31日23:09

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マリアの肛門

年末休みのあれこれ。

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kindleで売っていたので、山田花子の漫画を久しぶりに読み返してみた。

よく「救いがない」という言葉を聞くが、山田花子の漫画ほほんとに救いがない。彼氏彼女、いじめっ子いじめられっ子、それを見ている周りの子、すべてのキャラクターが「どーせおまえら、こんなもん」と丸裸にされ醜い部分をこれでもかと見せつけてくる。もちろんその「おまえら」には山田花子自身も含めている。

(山田花子だったら、「読んだ」ではなく「読み返した」と書いたところや、そもそも山田花子を話題に出すことの自意識を「ばーか」と罵るんだろう)

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続けてウディアレンの「恋のロンドン狂騒曲」のDVDも観たのだが、こちらも救いのなさは相当なものだ。身の程知って生きて死ね、というか。実際その通りなんだろうけども。

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そんな現実のキビシサを嫌というほど突き付けられた後に、プラシーボに関するテレビの特集番組を観た。

そこで思ったのだが、「プラシーボ」っていうのは要は「信じるものは救われる」ってことで、宗教としての科学を象徴しているなあ、と。

科学は宗教と同じというよりも、信じる幻想のようなものが人には必要で、それが人によって科学だったり宗教だったり、愛だったりするんじゃないのかな。

世界はきっと山田花子やウディアレンが描いた通り救いなんてないから、もしそういう幻想が何一つなかったら、つらくてつらくて生きていけないかもわかんないなあ、と。自分も意識していないもの含めていろんな幻想を拠りどころにして今生きられてるんだろうな、と思うし。夢とか希望とかにも近いんかな。それ自体は生きる知恵であり悪いことではないんだよなあ。積極的に宗教にハマろうとは思わないが。

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今年ももう終わりですね。2018年に希望をもって。
おやすみなさい。いい夢みれるかな。
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