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2017年10月20日07:55

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標準化

 かつて日本各地で麻雀はまったく違ったローカルルールで行われていました。知らない人と打つときにはまず「ルールは?」と確認することから始めなければならなかったのです。ところが、ファミコンでの麻雀ゲームで育った人は、そういった確認をする必要がありません。つまりファミコンによって麻雀ルールの「標準化」が進められたわけです。
 かつてセックスは「密室」で行われるもので、おそらくカップルの数だけ行為のパターンがあったはずです。しかし、アダルトビデオを若いときから見て育った人が増えると、そのビデオ内で行われている行為が、ファミコン麻雀と同様に「性行為の標準化」を進めているのではないか、と私は想像しています。麻雀とは違ってこちらは確認が困難ではありますが。

【ただいま読書中】『ポルノ・ムービーの映像美学 ──エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇情の文化史』長沢均 著、 彩流社、2016年、3000円(税別)
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 シネマトグラフは1895年に始まりました(フランスのリュミエール兄弟)。アメリカでは早くも96年に「ザ・キス」というキスだけの短篇(ブロードウェイの舞台「ジョーンズ未亡人」のキスシーンを撮影しただけのもの)がトーマス・エディソン社によって作られ、カトリック教会などから「ふしだらに長いキスを大衆に見せるのは公序良俗に反する」と糾弾されて公開禁止になりました。初のヌードは1897年の「舞踏会のあとの入浴」(ジョルジュ・メリエス製作)で、女性は薄衣を着ていて完全なヌードではないのですが「女性の脱衣行為」を公開しただけで十分以上に刺激的でした。
 「世界最初のハードコアポルノ映画」には1907〜08年に候補作がいくつか挙げられています。文章で紹介されるその中身は、たしかに「ハードコア」。ただ、現物の映像が残っていないため、どれが本当に最古のものかの特定は困難だそうです。ただ、ハードコアがブームになるのは「狂乱の20年代」になってから。それまでは慎ましやかなエロティック映画が主流だそうです。もちろん当時は非合法なので、金持ちの好事家か売春宿くらいしか“顧客”はありませんでした。それが、35ミリフィルムより扱いが楽な16ミリあるいは8ミリフィルムが登場して、ポルノは家庭に進出しました。当時はまだ「ポルノ」ではなくて、アメリカでは「スタッグ・フィルム」「ブルー・ムービー」と呼ばれましたが、日本の「ブルー・フィルム」に名前が影響を与えていますね。
 映画の検閲は、早くも1907年にシカゴで始まっていますし、ニューヨークでは1909年に映画検閲会議が設立されました(日本では1925年に内務省が「活動写真検閲規則」を発布しています)。暴力と性倫理(猥褻と異人種間恋愛)の表現に関して、国家の介入を防ぐために、日本の映倫と同様、全米レベルでの自主規制が行われました。22年から始まった「映画製作倫理規定」通称「ヘイズ・コード」です。イギリスでは1921年に「レイティング・システム」(はじめは「U」は制限無し/「A」は16歳以上は成人を伴う必要あり、のシンプルなものでしたが、のちにどんどん細分化されていきます)を採用しました。ちなみにアメリカでレイティング・システムが採用されたのは1968年です。ここで紹介される19世紀からの「コムストック法(反悪徳十字軍)」の暴力のすさまじさには驚きますが、それが映画に向かったら大変だ、という危機感が映画関係者にあったのでしょう。しかし保守派と宗教界は自主規制のレベルに飽き足らず、映画への攻撃を強めました(そこに反ユダヤ主義(ハリウッドにはユダヤ資本が多く入っていたからです)も公然と掲げられていることに私は驚きますが)。
 1920年代からアンダーグラウンドのスタッグ・フィルムは大量に制作されましたが、「拡散」は「レベルの低下」を招き、手っ取り早く儲かる安直な作品がほとんどとなります。それでもそこは性表現の実験場となり、30年代の「The Stiff Game」では、男女のセックス・同性愛(それも白人と黒人)・フェラチオ・精液をビールに混ぜて飲む、なんてシーンが盛り込まれているそうです。今のAVだったら珍しくもありませんが、30年代にここまでやるとは、すごいですねえ。
 戦後のマッカーシズム(でっち上げ主体のアカ狩り)によって、ハリウッドのスタジオから多くの人材がヨーロッパや独立系の会社に流出しました。そして、独立系のエロティック映画が続々と生産され、結果としてヘイズコードは少しずつ無力化されることになります。出版界でも『チャタレイ夫人の恋人』や『北回帰線』が性描写を理由に発禁となって訴訟沙汰になっていますが、それに少し遅れて、アメリカの大都市で少しずつ「ポルノ映画」が上映されるようになってきます。その先駆けとして本書で注目されるのは『プレイボーイ』誌の「健康的なヌード写真」です。そして70年代前半の「ポルノ解禁」。「ディープ・スロート」「ミス・ジョーンズの背徳」「グリーンドア」などが公開されて評判になります(激しい批判と攻撃も受けます)が、日本ではボカシの陰に肝心な話は隠されてしまっていました。著者は「映像美」の点では「グリーンドア」を一番買っているようです。
 「革命」は必ず「反動」を伴います。ポルノ解禁という革命の場合、反動は「一般大衆の保守化」でした。それでもポルノはアメリカ社会に広まります。それにしても著者は、ポルノ以外の映画からの引用も膨大で、一体どれくらい「映画」を観ているんだ、と感心します。それだけ「映画の教養」があるからこそ、「ポルノ映画の映像美」という難しいテーマにも取り組むことができるのでしょうけれど(一般映画とポルノと、両方にそれぞれ一家言がなければ、このテーマをきちんと論じることはできませんもの)。また著者は、年代別のファッションについても詳しいのですが、ということは、考証が甘い映画については採点が厳しくなることも意味します。
 ビデオが普及すると当然ポルノビデオが量産されます。あまりに量産されたので「粗製濫造」という言葉さえ使われなくなってしまいました。そういえば日本でも、家庭用ビデオが普及する過程で、ポルノビデオをおまけに付ける商法がありましたっけ。AIDSが登場すると、コンドームが画面で多く見られるようになります。陰毛の処理にも時代により流行があります。
 本書には多数の映画タイトルが登場しますが、それでも「人生は映画に追いつけない」そうです。私は本書に登場した中では「エマニュエル夫人」と「フレッシュ・ゴードン」くらいしか観た記憶がありませんが、こんなに学術的に観なくてすんだ(ただ楽しむだけで良かった)身の幸運を喜ぶことにします。


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