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2017年10月03日21:28

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総選挙の後

 安倍首相にとっては、今回の選挙は勝っても負けてもメリットがありますね。
 もちろん勝ったら好き放題できます。だけどもし負けても、アベノミクスの後始末をだれかに押しつけることができるという大きなメリットが享受できます。選挙に負けたら「もうぼくは責任者じゃないから関係ないもんね」と言えますもんね。

【ただいま読書中】『アメリカ革命と黒人』ベンジャミン・クラレルズ 著、 小山起功・川成洋 訳、 国書刊行会、1979年、2800円(税別)
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 アメリカが経験したこれまでの大きな戦争で、黒人はつねに最初は無視されました。「劣等民族」に大きな働きができるとは思えないし、「劣等民族」に武器を持たせたら何をするかわからないという恐れもあります。ところが戦局が進むと「巨大な潜在能力の集団」が注目され、彼らは戦争に駆り出されることになります。第一次世界大戦でも南北戦争でも、そしてアメリカ独立革命でも。
 戦争が長引くにつれ、植民地軍もイギリス軍も、兵力不足に悩むようになりました。そこでイギリス軍は「こちらの水は甘いぞ(志願したら奴隷からの「自由」を与える)」と宣伝します。植民地軍は、州によって対応がバラバラでした。人種混成軍をがんがん編成し(南北戦争とは違って、独立戦争では「黒人だけの部隊」は存在しません)、戦後には奴隷解放を宣言したペンシルベイニア州もあれば、かたくなに黒人兵を採用しなかったサウス・キャロライナ州やジョージア州もありました。黒人は総じて戦いを歓迎していました。「自分たちの力」を示すことで「地位の向上」を期待したのです。それに、武器の訓練はレジスタンスになる場合にも役立ちますしね。
 独立戦争が始まった直後、実は黒人は植民地軍に参加していました。主人の許しを得て、あるいは代理出征としての参戦です。彼らは実に勇猛な戦いぶりを見せました。しかし十箇月くらい後、1776年には「黒人排除」が徹底されます。理由は「財産権の侵害(奴隷は主人の財産です)」「軍隊が逃亡奴隷の隠れ場所になる恐れ」そして「恐怖(武器を持った奴隷が主人に何をするかわからない)」でした。さらにイギリスが「主人を殺せば奴隷にそのプランテーションを与える」と布告した、という噂が「恐怖」をさらに煽りました。しかしこの「黒人排除」の原則はすぐに試練に晒されます。イギリスが黒人を丁重に勧誘し始めたのです。この決定によってダンモア総督は植民地人(白人)の激しい憎悪の対象となりました。
 アメリカでの奴隷制の否定は奴隷制の開始とほぼ同時に始まりました。最初はクェーカー教徒やピューリタンの宗教的道義的な主張から始まり、やがて18世紀啓蒙主義を根拠として一般化されました。植民地時代末期、北部では奴隷による「自由を求める訴訟」がいくつも起こされ(しかも勝訴し)ています。
 独立宣言には「すべての人間は生まれながらに平等である」という魔力を秘めた文言がありました。多くの植民地人(白人)にとって「すべての人間」は「植民地人(白人)と本国人(白人)」を意味することが自明の理だったでしょうが、黒人からは「すべての人間」は「すべての人間」の意味でした。そしてこの見解は、白人の中にも広がっていきます。
 1777年コネティカットの州議会は「(黒人の)代理入隊をさせた主人には兵役免除」「黒人は奴隷から解放されるが(それまで解放奴隷に対して主人が負っていた)扶養義務は主人から免除される」という法律を通します。主人は財産(奴隷)を失いますが、悪いことばかりではありません。同年、マサチューセッツ州では「すべての男性(人種は関係なし)に兵役義務」と定めます。単純明快。
 大陸軍は兵員不足に悩んでいたため、連邦の許可を得ずに州から送られてくる黒人兵も受け入れざるを得ない状態でした。黒人兵は主に最下級の兵卒として、あるいはドラム手として働きました。たまに騎兵や砲兵になる例外的な黒人もいましたが。また、付き人・給仕・料理人として働く人もいました。黒人にとって兵役は「自由への第一歩」で、しかも兵役期間は3年(または終戦まで)と長かったため、彼らは腰を据えて勇猛に戦いました。
 銃後の黒人もまた“戦って”いました。工事などの労務、スパイ、伝令、道案内人など、活躍の場はいくらでもありました。労務には、建設もありますが、後の工兵がやるような破壊工作も重要な任務でした。雑務や労務を白人兵士は嫌がる傾向があり、自然にそれらは黒人に押しつけられました。
 休戦が成立した後も「黒人」をめぐってのごたごたは続きました。イギリスは「奴隷」は持ち去ろうとしますし「解放奴隷」には自由意志を認める気です。しかしアメリカは「自分の財産」が持ち去られることに我慢がなりません。結局、アメリカから亡命した王党派の奴隷所有者の奴隷とイギリス側で戦った黒人の多くはアメリカを去り、アメリカ人は強い怒りを持ち続けました。 
 独立宣言の「自由」「平等」の理念の本質を、一番きちんと受け止めたのは社会の最底辺に位置づけられた黒人たちでした。彼らは何も失うものがないからこそ、理念を把握することができたのです。すると、何かを所有すればするほど、人は理念からは遠くなっていくのかもしれません。「理念で飯が食えるか」という言葉がありますが、「飯が食えない人が理念を持つ」のかもしれません。


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