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2017年05月29日07:19

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人類の創意工夫

 兵器や戦術が多種多様であるところをみると、人類は人を殺すためには創意工夫を限りなく行えることがわかります。ではその創意工夫を「平和を構築」するために活かせないのは、なぜなんでしょう?

【ただいま読書中】『地雷処理という仕事』高山良二 著、 筑摩書房(ちくまプリマー新書132)、2010年、780円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480688331/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4480688331&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=c5feca864ee15d57a81dcca02a2b844e
 2002年5月、55歳の誕生日に陸上自衛隊を定年退官した著者は、その3日後にカンボジアに旅立ちました。その10年前、カンボジアのPKO任務が終わったとき「やり残したことがある。また帰ってくる」と決心した著者が、その思いを実行に移したのです。ちなみに10年の間に、著者は英会話の勉強をして英検三級を取得し、さらに僧侶の資格も得ています(仏教国では役に立つかもしれないからです)。同時に、家族の説得。実はこれが一番難題だったようです。
 活動の場はカンボジア・プレイヴェン州。カンボジア地雷対策センター(CMAC)の不発弾処理活動がまだ手つかずの州で被災者が多数出ていました。この不発弾はベトナム戦争の遺物です。ホーチミンルートを遮断するためにアメリカはカンボジアに53万トンの爆弾を投下した、と言われていますが、不発弾がそのままだったのです。著者はJMAS(NPO法人日本地雷処理を支援する会)の現地代表として活動を開始します。事務所の立ち上げ時のメンバーは、著者・鈴木さん(自衛隊OBで不発弾処理のスペシャリスト)・ドライバー・通訳の4人。それにカンボジア人の隊員10人が加わります。
 初日の活動で、不発弾を集めて爆破処理をしようと準備していると、子供たちが「これも」と不発弾を4発持ってきます。その処理が済んで帰ろうとすると、道路脇に不発弾が転がっています。それを記録していると子供が自転車に乗って不発弾をまた持ってきます。人々は「不発弾と共に生活」をしていたのです。
 当時カンボジアでは年間800〜900人が地雷や不発弾で被災していました。その半数は不発弾ですが、その被害を減らすためには、不発弾そのものを減らすだけではなくて、取り扱いについて国民に啓蒙活動をする必要がありました。著者はそちらにも熱心に取り組みますが、心身がぼろぼろになってしまい、一時帰国することにします。しかし、PKOのときに著者に取り憑いた「地雷処理をやりたい」という宿願が、著者をまたカンボジアに出発させます。こんどは「住民参加型地雷処理事業」への参加です。
 不発弾は目に見える場合がけっこうあります(水中や地中の場合もありますが)。しかし地雷は人為的に隠してあります。だからその処理は不発弾以上に危険なものになります。しかしそれをしなければ、安心して道を歩くことも農作業をすることもできません。
 実際の作業は2人一組です。1人が幅1.5m奥行き40cmの範囲の雑木や草などを取り除きます。後ろで待機していた探知員が金蔵探知機でその範囲を探知し、金属反応がなければ40cm前進します。しかし反応があった場合、「それ」が何かを調べなければなりません。もしそれが地雷だった場合には起爆させないように寸刻みに土を取り除きます。見つかるのが小銃弾や鉄の破片の場合も多いのですが、地雷だったら標識を立て、あとから専門家が爆破処理をします。地を這うような時間がかかる作業です、というか、文字通り地を這っているわけですが。著者が活動するタサエン地区では、1980年代の内戦時に、ポルポト軍・政府軍・ベトナム軍が激戦を繰り広げ、対人地雷や対戦車地雷がたくさん埋められていました。
 地雷には必ず金属が使われます。72A型対人地雷(中国製)のように部品のほとんどがプラスチック製のものもありますが、それでも撃針などどうしても金属でなければならない部品があります。また、爆薬は必ず使われているので、地雷探知犬で爆薬の有無の確認を行っています。もちろん地雷を製造する側は探知されないように材質などにいろんな工夫をしてきます。さらに、傾けるだけで爆発するようにしたり、周囲にトラップを仕掛けたりもします。人を傷つけるための創意工夫と熱意には限りがないようです。
 現地でデマイナー(地雷探知員)を募集すると、実に多くの応募がありました。その動機は「家族が地雷の被害に遭った」「貧乏だから」。ただ、明るい未来(地雷に怯えずに生活ができる)のビジョンを皆が夢見ていました。採用されたデマイナーは99名、平均年齢24歳、半数は女性。
 カンボジアに埋められた地雷は400万〜600万個と言われています。手作業で取り除けるのは1年1万個。機械的に取り除くこともできますが、機械が入れない地域では結局手作業しかありません。
 作業を続けている内に、著者は「村の現状」にも気がつきます。井戸・学校・文房具が足りない、通学路がない、農産物はタイの商人に安く買いたたかれている…… そこで著者はまず井戸掘りを始めます。そういえば本書の中盤まで「飲み水」は「雨水」か「溜まり水」で表現されていました。衛生的に問題がある環境です。はじめは業者に掘らせましたがあまりに仕事がいい加減なので、村人のチームで掘るようにやり方を変更。これでけっこうな数の井戸が掘れましたが、カンボジア人はメンテナンスとか修理という概念を持っていないらしく、維持ができません。これには著者は頭を抱えています。そこで著者は「教育」に目をつけます。子供たちに「自助努力」を学んでもらったら、カンボジアの文化も少しは変わり、結果として村の自立が達成できるのではないか、と。そのために必要なのは、小学校建設用地の確保とそこの地雷除去でした。そして著者は、日本語学級やコンピューター教室の講師も引き受けています。主要産物の芋もそのままだと安く買いたたかれるので、芋焼酎にして付加価値を付けるようにもします。
 2007年1月19日、事故が起きました。対戦車地雷(推定8個)が爆発して7名のデマイナーが犠牲になったのです。著者が村を離れてプノンペンにいたときのことでした。村人と共に悲しみに暮れていた著者は供養塔を建設することを思い立ちます。未来の村人が、自分たちの平和な生活は7人の死を礎として作られていることを忘れないように。そして、8人目をそこに入れないために、著者はまた動き始めます。
 著者は「軍事力の平和利用」を言います。地雷処理もその一つです。そして、国連に「戦後処理部門」を作ってそこでも軍事力を平和利用すれば良い、とも。もし世界中の人が「戦後処理」に関わるようになったら、その時世界に本当に「平和」が構築されるだろう、と著者は考えているのです。たしかに、原子力だって平和利用できるのですから、軍事力だって平和利用できますよね。その意志さえあれば。


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