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2017年05月22日18:18

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「人」と「入」

 「人」というフォントは私の画面では左右対称に見えますが、手で書く場合、第一画が長くその斜め下に少し短く第二画が添えられるように私は書きます。つまり「入」の左右対称の文字。
 ところで「人という文字は、お互いに支え合って立っていることを示す」と主張する人は「入という文字」に関しても、同じことを主張しているのでしょうか?

【ただいま読書中】『高い城の男』フィリップ・K・ディック 著、 浅倉久志 訳、 早川書房、1984年、480円
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4150105685/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4150105685&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=f64820ff65898007438870fa4fe88417
 図書館に予約している『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』がそろそろ順番が回ってきそうなので、その前に“予習”として本書を読んでおくことにしました。
 ナチスと日本が勝利し、その両者にかつてのUSAは分割統治されています。ドイツ東部からウクライナまではアーリア人種が入植し、アフリカは“空っぽ”。ナチスは月への飛行をさっさと成功させ、さらに金星と火星に植民地開発をしています。そんな世界のサンフランシスコ(当然日本の統治下)で本書は始まります。
 この世界でアメリカが負けたのは、ローズヴェルトが大統領になる前に暗殺されたからです。では(私たちのこの世界と同じく)もし暗殺されなかったら?という仮定で始まる『イナゴ身重く横たわる』という小説は、ナチス支配下の世界で発禁となり、こっそりと人々に読まれていました。そちらでは(こちらの史実と同じく)日本とナチスは“負け”ています。「連合国が負けた世界で、連合国が勝ったという小説が読まれている」というこの二重構造がなんともこちらの心に引っかかります。ディックの小説は「この現実は、本当の現実か?」という問いかけが作品内で執拗に繰り返されることが特徴ですが、本書では読者が「自分が生きている現実は,本当の現実か?」と自身に問いかけることが可能な構造になっているのです。
 日本軍の統治下にある黒人は奴隷で、白人は自分たちのことを「白い野蛮人」と卑下しながら生きています。ドイツではボルマン首相が急死し、それにともないドイツ本国では複雑な政治闘争が繰り広げられている気配です。そしてサンフランシスコには、ナチスによる日本壊滅計画が進行中である、という情報がひそかに伝えられます。日本に対して水爆を使わせないために、ドイツの内部抗争の一方に肩入れをして欲しい、という以来と共に。
 本書の特徴はもう一つ、「卦」です。登場人物は、筮竹やコインで卦を得たり、易経からの引用を盛んに行います。著者自身が自分の人生で迷うと自分で卦を立てていたそうですから、それが作品にも直接的に反映されている、ということでしょう。また、「易」は運命を直接的に語る「決定論」ではなくて「解釈の提示」ですから、本書の最後に登場する「易が小説を書く」という驚異の発想も、私には「それもアリ」と思えます。私も卦を立てながら小説でも書いてみようかな。おっと、卦の早見表はどこにやったっけ?


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