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2017年05月07日17:48

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名前を演じる

 俳優は(歩行者Aとかの場合を除き)「役名」をもらうことによって「名前のある役(の人生)」を演じます。一つ演じたら次はまた別の名前の「人物」を演じるのですが、その俳優自身も「芸名」を持っています。するとその俳優は「その芸名の俳優の人生」を一生かけて演じている、ということなのでしょうか。

【ただいま読書中】『我輩は天皇なり ──熊沢天皇事件』藤巻一保 著、 学習研究社(学研新書014)、2007年、740円(税別)
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 敗戦直後、それまで封印されていた「天皇に関する言説」が解禁されると、批判・非難と同時に未曾有の「天皇ブーム」も起きました。そして「我こそが正当な天皇である」と名乗る人物があちこちに登場。その中で一番有名なのが、本書で扱われている「熊沢天皇」です。ところが彼のことをまともに扱った本がない、ということで著者がまとめたそうです。
 昭和20年11月、GHQに一通の「請願書」が届きました。差出人は熊沢寛道。南北朝から筆を起こし、北朝に滅亡させられたと信じられた南朝方に遺児があり、その血統を自分が継いでいる、北朝は偽主なので、自分に大政を奉還するべきだ、という内容でした。それを「特ダネ」と直感した英米の記者4人は取材を始め、記事にします。
 話題の主となった熊沢の回りには、自称「南朝忠臣の裔」が集まりました。明治時代に、北畠・菊池・新田・名和・結城などの子孫が華族に列せられていましたが、それに漏れて不満をためていた人たちです。さらに「南朝ゴロ」(南朝方を名乗る人たちをおだて上げたりして食い物にするごろつきたち)も陸続と集結しました。
 当時昭和天皇に対する世論には厳しいものがあり、それも「熊沢天皇」への追い風となりました。GHQは扱いに困ったらしく静観を決め込みますが、これを「否定しない→黙認→承認」と本人や周辺、さらには警察なども誤解していました。
 熊沢の父、大然は南朝研究者で、自分の家の言い伝え(南朝の子孫である)を確認しようと盛んに動いていました。明治政府はその動きに対して黙殺(+警察による監視)で応えていましたが、明治43年に国会で南北朝問題が取り上げられ、結局内大臣秘書官が大然を呼び出して会見をしています。熊沢家側は「会見で自分たちの主張が全面的に認められた」と主張していますが、それを証拠立てるものはありません。さらに熊沢家側は、皇族に入れろ、とか四姓(源氏、平氏、藤原氏、橘氏)に入れろ、と要求しますが政府に黙殺されました。明治天皇も大然も死に、政府との交渉は断絶。後を継いだ養子の寛道は「一族の思い」を背負い込み、突進をすることになります。
 物凄い秘話が登場します。昭和10年に「熊沢天皇」を担いでの軍事クーデター(「昭和維新」)計画があった、というのです。ただしこの時の「天皇」は寛道ではなくて、同族(と名乗る)熊沢信太郎でしたが。軍としては「逆賊」になったら勝てませんから、現天皇に承認されなければ「錦の御旗」としていざとなったら熊沢天皇を使うつもりもあった、というわけです。これは「国家公認の神話を根拠とした天皇」vs「国家非公認の神話を根拠とした“天皇”」、という構図です。それに対して熊沢寛道は「国家公認の神話を根拠とした天皇」であろうとした点が大きく違いました。
 昭和21年から天皇は全国巡幸。天皇人気は非常に高くなり、南朝復興運動方は焦ります。第一回衆院選挙では「天皇制維持」の社会党が第一党に、「天皇制廃止」の共産党は惨敗。それは同時に「現天皇の廃位」を主張する「熊沢天皇」に対する国民の「ノー」の意思表示でもありました。
 「熊沢天皇」は講演などで日本各地を回りますが、それはやがて“地方巡業”のようになっていきます。じり貧を悟った熊沢は昭和26年に「現天皇不適格確認訴訟」を起こします。訴訟の根拠は「南朝こそが正統」と「天皇の戦争責任」。GHQが「天皇の戦争責任は問わない」と決定していたのに、問題を蒸し返しています。裁判所はあっさり「却下」。それどころか「天皇について裁判所は法的に何の判断もしない」と「遁走宣言」をしてしまいます。
 熊沢寛道はついに「退位」をし、忘れられた存在として社会の片隅で『南朝と足利天皇血統秘史』を書きます。寛道は金には全然頓着せず、極貧に耐えていました。しかし「自称天皇(複数)」の中には、自分の“ブランド”を活かして政財界と結びついた人もいました。「天皇制」というのは一種の「宗教」で、「新興宗教」として「自称天皇」が次々生まれているかのようにも見えます。
 さらに、戦前の「天皇」の扱われ方を見ると。戦前派の人たちがあれほどこだわった「国体の護持」って、その正体は一体何だったのかと私は疑問も持ってしまいます。最近の自称右翼がよく使う「万世一系」「男系」「皇室典範」などの言葉の“正体”も、一度徹底的に洗ってみた方がよいのではないか、と私は個人的には思っています。


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