「未来都市」で私が真っ先に思い出すのは、真鍋博のイラスト群です。想像力が刺激されましたっけ。だけど今にして思うとあれは「昭和の時代の未来都市」、つまり「過去の未来」になってしまったわけです。今の子供たちは「今の未来都市」としてどんなものを夢見ているのでしょう?
【ただいま読書中】『未来都市の考古学』東京都現代美術館・東京新聞 構成・制作、東京新聞、1996年
「未来都市」と「考古学」が並ぶと、不思議な語感になります。
どんな時代にも「未来」があります。それが私たちから見て「過去」であっても、そこにはそれぞれの「未来都市のプロジェクト」があったのです。本書ではそういった「失われた未来都市のビジョン」を発掘し、提示してあります。
ルネサンス期の「未来都市」のデッサンは、遠近法を駆使してきわめて具体的に描かれています。「遠近法(パースペクティブ)」自体が「ルネサンス的」なものだったのでしょう。
16世紀には「砲撃」に対する守備を考慮した「理想都市」が登場します。その特徴は「円形(または円形に近い多角形)」。全周囲からの攻撃に均等に対応するためにはその形が理想形だったわけです。「円形の施設」と言えば、ミシェル・フーコーの「パノプテイコン(ジェレミー・ベンサムの提案)」を私はすぐ思い出しますが、18世紀にすでに中心部に管理部門を置きそこから放射状に収容者を置く空間を配置する「病院」や「刑務所」の提案や計画があったそうです。
19世紀には都市は拡張を繰り返します。建築家は「拡張の調整」と「中心部の歴史的価値の保全」の両立を目標としました。20世紀はじめには、ロシア革命にともない、「理想」と「ユートピア」をめぐる言説が花開きます。そのころアメリカでは、フランク・ロイド・ライト(日本では帝国ホテルの設計者として有名ですね)が、電気・大量生産・自動車を前提とする「ブロードエーカー・シティ」の模型を発表していました。上手くやればアメリカ全土を“都市化”できるという雄大な構想でした。
そして本書には「宇宙」も登場します。
こういった本を読むと、私は空を見つめたくなります。スペースコロニー、あるいは火星の居住地はどのような「理想都市」なんだろう、と。今の私の想像力ではそれ以上遠くの「都市」はまだ想定されできません。だけどそのうちに「小惑星帯の“理想都市”」とか「深宇宙の理想都市」とかが語られる日もいつかは来るでしょう。そのとき、どんなビジョンが語られるのでしょう?
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