『花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう』
(花は咲くプロジェクト「花は咲く」)
この唄は次世代への継承がテーマである。たとえどんなにつらいことがあっても、いつかは生まれる次世代の君に、私たち今の世代が何かを残していく。前の世代がそうしてくれたように。
全ての生物はそうやって生きてきた。花が咲けば、果実ができ、種子ができる、そうした生命の繰り返しの象徴が「花」である。
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『そういえば花って 植物の生殖器なんだよね
植物の性器は あんなにも美しく 人を魅きつけるものなのに
どうして人間のは ああも 醜いのだろう』
(遠藤浩輝「きっと可愛い女の子だから」)
しかし、このセリフのようにあけすけに言ってしまえば、花は性器であり、生殖はSEXである。我々は目の前の快楽を求めてSEXをするのであり、決して次世代のためではない。
もっとも社会のことを考えて・・・とかそういう「意識高い系」の人々がいることは否定しない。しかし少なくともそういう「仕組み」であり、我々が今存在するのは、意識高いからではなくSEXが気持ちいいからである。
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人の行動パターンに関するある調査では、人の行動はかなり限定されており、「ある人が今どこにいるか」を平均2か所以内に絞ることができ、80%以上はおきまりの習慣に従っているという結果だったという。(池谷裕二「脳には妙なクセがある」)
これを知ったとき、正直きゾッとした。自分は自由な意思で行動している気でいるが、実は決められたパターンを延々と繰り返しているだけなのかもしれない。まるで「ラプラスの悪魔」だ。
人を好きになって、結婚して、子供を産んで、育てて。パートナーを心の底から愛して、子供の健やかな成長を願う。その行動が、その感情がすべて「仕組み」だとしたら。
次世代に何かを残そうという志を絶対的な「善きもの」として、この唄は高らかに唄われる。
誰も否定しない。でも、それも結局「仕組み」の一部ではないのか。
だとしたらそこに個人の意思や自我、心はあるのか。そもそもそんなものはどこにも存在しないのだろうか。
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『あなた一人と 他全人類
どちらか一つ 救うとしたら どっちだろかな? 迷わずYOU!!!!』
(RADWIMPS「ます。」)
いつものごとくそんなことをぐちぐち考えていたのだが、そんなとき「仕組み」に堂々と中指突き立てるようなこの唄を聴いて、なんかすっきりしたのでした。あったよ、自我。
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