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2016年08月22日07:45

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寄生虫

 私が小学生の時には検便やお尻にテープを貼る寄生虫検査が毎年あって、「もし出てきたらどうしよう」と心配したものでした。
 寄生虫は人間からは嫌われていますが、それは「収奪」だけして「お返し」がないからです。いろいろ役に立つことをする共生だったら嫌われないんですけどね。
 ところで人類は、地球から見たら「寄生」なのでしょうか? 奪うばかりでお返しはしていない存在?

【ただいま読書中】『野見宿禰と大和出雲 ──日本相撲史の源流を探る』池田雅雄 著、 彩流社、2006年、2000円(税別)
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 「相撲は日本の国技」と言われますが、実は世界中に「相撲とそっくりの格闘技」が存在しています。おそらく「国技」たる所以は、格闘技を包む「文化」の部分にあるのでしょう。だから「日本人横綱」にこだわる必要はありません。「文化」が継承されていれば良いのです。
 日本神話では「出雲の国譲り」と「日本書紀・垂仁天皇」に「相撲」が登場します。ただし出雲神話の方は神同士の力比べで「手乞い(今のレスリングのように、お互い手をさしのべて相手の体を掴んだりタックルする隙をうかがう)」でしたし、垂仁天皇での野見宿禰と當麻蹴速の対決ではハイキックの応酬で“きまり技”は蹴速のあばらと腰の骨を踏み破る、というものでした。古代ギリシアに「パンクラチオン」という殴る蹴る投げる何でもありの格闘技がありましたが、日本書紀の「相撲」もキックボクシングかパンクラチオンのような物だったのかもしれません。
 同じく日本書紀の雄略天皇のところには「采女相撲(天皇が裸の女官にふんどしだけで相撲を取らせた)」の記述がありますが、これはさすがに本気の格闘技ではなかったでしょう。どちらかというと、祭事としての相撲だったのではないかな。
 しかし、本書によると、こういった日本書紀の記述がかつては「史実」として扱われていた時代があったのだそうです。歴史学が進歩してさすがに神話は神話ということになりましたが、なぜか相撲史でだけはまだ野見宿禰の“相撲”は史実扱い……って、本当ですか?
 著者によれば「史実としての相撲の最初の記述」は、皇極天皇(大海人皇子の母)元年に百済の王族を接待するために兵士を集めて相撲を取らせたものだそうです。公式行事だから記録が残った、ということでしょう。天武天皇の時代には、大隅隼人と阿多隼人(どちらも九州で征服された民族)の相撲が行われています。飛鳥朝では七夕の余興として相撲が行われました。のちの平安朝で相撲節会が行われたことから見ると、少しずつ宮中での「相撲」制度が整備されつつあったようです。
 ここで著者は興味深い指摘をします。「野見宿禰」と言われると「野見」が「氏」・「宿禰」が「名」の「個人」だとつい思ってしまいますが、それは間違いだ、と。「宿禰」は「(天武天皇が制定した)八色の姓」では第三位の階級に位置しています。つまり「宿禰」の古称はそれ以前には「家筋の尊称」「世襲的な職務」を示していたはずだ、と言うのです。また「野見」は日本各地に見える一般的な地名です。続日本紀などを参照すると、出雲からやって来た土師集団が「野見宿禰」のようなのです。で、彼らの多くが住んでいたのが大和の出雲村だそうです。では、「出雲村」と「出雲国」との関係は?(出雲国から大和にやって来た人たちが出雲村に、が自然な解釈でしょうが、その逆はないでしょうか?)
 「相撲」という言葉は、中国人ではなくてインド人が作りました。もともと中国とインドではルールのちがう「相撲」が行われていて、中国では「角力」・インドでは「ゴタバラ」と言われていました。それでインドから中国に『本行経』がもたらされて漢訳されるときに翻訳をしたインド人が(本来ちがう物だから、と)「角力」ではなくて「相撲」の字を用いたのだそうです(ついでですが、中国文化では中国知識人は外国語を学んで漢訳することを嫌がります(有名な例外は玄奘三蔵)。なにしろ「中華思想」ですから中国語だけ知っていれば良いのです。だから後世にキリスト教が伝来したときも、西洋人の宣教師が中国語を学んで聖書を翻訳しています)。で、日本では大正時代までは「角力」「相撲」の両方が使われていましたが(明治時代には「相撲協会」ではなくて「角力協会」だったそうです)、いつの間にか「相撲」が一般的となり「角力」は「好角家」「角界」に名残が見られるだけとなりました。
 「相撲史」の本のはずですが、日本神話についてもいろいろ考えさせてくれる本です。私も『古事記』を読んでいて、「出雲」が大和朝廷に明らかに大きな影響力を持っているのに、文章上は不自然に無視されている場面が多いことが不思議で仕方ないので、著者が抱く疑問には共鳴を感じます。


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