蝉が妙に力一杯鳴いています。昨年より音量が増えたのではないか、と思いますが、きちんと測定したわけではないので本当のところはわかりません。ただ、あれだけ鳴いていると、そのうちに「公園の蝉がうるさい」と公園管理者に苦情が行くのではないか、なんて心配をしてしまいました。最近は「こんなご時世」ですから。
【ただいま読書中】『真夜中の電話』ロバート・ウェストール 著、 原田勝 訳、 宮崎駿 装画、 徳間書店、2014年、1600円(税別)
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著者の作品は(少なくとも日本語に翻訳されたものは)すべて読んだ、と何年か前に安心してフォローを怠っていたら、私が知らないうちに短編集が出版されていました。それも二冊。まったく、油断も隙もありません。もちろん、大喜びで手に取ります。
目次:「浜辺にて」「吹雪の夜」「トムが「見た」もの」「墓守の夜」「屋根裏の音」「最後の遠乗り」「真夜中の電話」「羊飼いの部屋」「女たちの時間」
場所はイギリス、時は第二次世界大戦中〜二十世紀後半と古い時代。私とは縁もゆかりもない「舞台」なのですが、どの短篇もこちらの心に真っ直ぐに飛び込んできます。人の心の持ちようや生き方に関して,著者はその本質をひょいとつまみ上げてそれを見事に料理して読者に提供してくれます。
内容はバラエティーに富んでいます。「クリスマスの物語」が二つ(「吹雪の夜」と「真夜中の電話」)含まれていますが、前者は「無神論のボーイと信仰心が非常に篤いガールの恋の物語」で後者は怪談。まったく違った味付けとなっています。「味付け」と言えば、「吹雪の夜」と同じ材料を使って全く違った“味”の物語になったのが「羊飼いの部屋」です。こんなに違う物語を仕上げようとどうやって思いついたのか、私は呆然としてしまいます。
憎しみ・怒り・苛立ち・恐怖・不安といったネガティブな感情も、物語の「スパイス」どころか「材料」として用いることに、著者は何のためらいも見せません。そしてそれがきちんと作品として成立するのは著者の腕前のせいでしょう。そしてそれを読者が受け入れるのは、そういったネガティブな感情もまた「自分の一部」として認めている(あるいは著者によって気づかされる)からでしょう。
さて、もう一冊が私を待っています。
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