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2015年01月23日07:59

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公害の簡単な解決法

 昭和の高度成長期、公害が問題になると、企業を擁護する立場の政治家は「風が吹けば煙は吹き散らされる」と煙突を高くする解決法を採用しました。排水中の有害物質は総量規制ではなくて「水で薄めれば解決する」と「濃度規制」です。水俣病では、排水中の有機水銀が問題、とわかってからそれが規制されるまで10年間放置されました。
 「経済を一番愛する」人の行動には、何か大きな問題が内在しているような気がしてなりません。少なくとも「日本」を愛してはいないのだな、と私には感じられます。

【ただいま読書中】『クロム公害事件』川名英之 著、 緑風出版、1983年、1800円
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4846183084/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4846183084&link_code=as3&tag=m0kada-22 
 重クロム酸塩の製造大手日本化学工業では、製造現場の環境は劣悪でした。産業廃棄物として出るクロム鉱滓は低湿地の埋め立てに用いられました。「雑草が生えなくなり、土が引き締まる」という売り文句で、低湿地の民有地にどんどん投棄されていましたが、なぜ「雑草が生えなくなる」のかについての説明はありませんでした。
 昭和48年東京都公害局特殊公害課はその事実を掴みましたが、何もしませんでした。しかし昭和50年、公害局の別の職員の尽力で事実が明るみに出されます。都民に対する大きな健康被害、それと大規模な労災隠しです。
 ……しかし、従業員が肺癌でばたばた死んでいるのに、全然気にしないとは、すごい会社です。鼻中隔穿孔は「社員として一人前になった印」なのだそうです。そして、行政(労働省や労働基準局)もそれを見過ごしていました。
 大正年間にすでにクロムの有害性は明らかになっていました。昭和2年にそれを知った警視庁(当時労働行政を担当していました)は、情報を日本化学工業に伝えただけでした。昭和32年には国立公衆衛生院が「鼻中隔穿孔の多さ」に注目し、会社に労働環境の改善を勧告しました。勧告は無視されました。労働省はあとになって「肺癌死が続出していることを知ったのは、昭和49年」と説明します。明らかに嘘です。嘘でなかったら、怠慢。毎年工場に立ち入り検査をしているのですから。
 マスコミの矛先は「土壌汚染問題」から「職業病問題」に切り替わります。土壌汚染ではまだ死者が出ていないけれど、職業病では死者が出ていたからでしょう。「被害者の会」が結成され、訴訟が起こされます。会社は「被害者の会」を切り崩すために「退職者の会」を結成し、こちらに入ればすぐに補償金が支払われる、と宣伝します(ただしものすごく値切られますが)。
 裁判が始まりますが、会社側は「クロムの有害性」を一切否定。裁判所の現場検証でも、工場の門を閉じて裁判官などを閉め出そうとしました。生産設備の説明では、最新鋭のものの図面を提出します。結審間近になると、患者の病状の再鑑定と裁判長の忌避を申し立てます。
 東京都も「土壌汚染」で会社と交渉をしていました。しかし会社は「民有地にあるものには会社は関与できない」と、東電の「散らばった放射性物質は無主物」とよく似たにおいの主張をします。これを解決する法律はありませんでした。美濃部都知事は「法律が使えないなら、運動で」と言い出します。都と住民が共闘して会社と交渉しよう、というのです。イデオロギーからそれに反発する動きもありますが、こういった場合大切なのはイデオロギーかそれとも住民の利益か、どちらなんだろう、と私は感じます。それにしても、172箇所に33万トンの投棄とは、何をどうしたら良いのでしょうねえ(ちなみに、日本化学工業は自分たちの社員用アパートの土地造成には、クロム鉱滓ではなくて一般の(きれいな)土砂を使っていました)。結局裁判では、請求額は1/5になりましたが、認定そのものは原告の主張がそのまま認められました。
 「昔の話」です。しかしその“本質”は全然古びていません。まだ日本は「過去の教訓」をきちんと学び切れていないように、私には感じられます。


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