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2015年01月11日07:33

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信長の二代目たち

 信長は後継者と定めた長男信忠以外の息子たちはどんどん他家の養子に出しました。後継者争いがトラブルになるのを防ぐためでしょう。たとえば四男の秀勝は羽柴秀吉の養子になっていました。本能寺の変後、次男北畠信雄と三男(といっても信雄と同年齢)神部信孝が本来は後継争いをするはずでしたが、信雄は明智が退去して空城となった安土城を焼いてしまうという大失態。信孝は山崎の合戦に遅刻したのに「おれが織田家の跡継ぎ」と決めつけて大はしゃぎ。なるほど、秀吉がつけ込む隙は、織田家の内部にしっかり“準備”されていたということなんですね。“初代”と同等の力量を持つ“二代目”はなかなか“準備”できないようです。というか、そもそもその“初代”自身が、誰かの“二代目”ではないのですから、そうそう“初代と同等の二代目”は見つからないでしょうね。

【ただいま読書中】『三人の二代目(下)』堺屋太一 著、 講談社、2011年、1800円(税別)
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 東では上杉景勝が圧倒的な戦力差のある織田軍(総大将は柴田勝家)に攻撃されて窮地に追い込まれていました。越中魚津城は陥落。景勝は覚悟を決め春日山城に籠ります。しかし織田勢は突然西に引きました。
 西では毛利輝元が備中高松城の救援に出陣しますが、高松城は水攻めにされて孤立、戦力差もある上にさらに織田信長自身も大軍を率いて出陣してくるということで、やはり苦しい立場に追い込まれていました。しかし秀吉がなぜか妥協的な和睦案を突然提案してきます。
 もちろん「本能寺の変」です。
 かくして日本中は大騒ぎ。秩序の再編成がおこなわれます。死んだ武将や手柄を立てた武将によって領地の再編もおこなわれますが、大きかったのは「織田家というシステムの消失」によって生じた空白を誰がどう埋めるか、ということでした。このとき「天下」という意識を持っているかどうかで、大名たちの運命が変わっていきます。景勝は秀吉から本領安堵を得、やっと「攻め」に転じることができます。これは上杉家によって柴田家の背後を脅かさせるという秀吉の戦略でした。
 宇喜多秀家はまだ十歳で備前・美作を領する大名でしたが、自ら秀吉の人質となります。仰天の提案ですが、秀吉が滅びない限り、秀家の領国への支配力は確実なものとなります。宇喜多家存亡を賭けた決断です。さらに宇喜多は、筆頭家老などを上方屋敷に派遣、政治の中枢を秀吉の足許に移してしまいます。のちの「江戸大名屋敷」の嚆矢と言えるでしょう。さらに秀吉は、養女にしていた豪姫(前田利家の娘)と秀家を婚約させます。柴田の組下に入っている前田家にも手を伸ばしたわけです。
 羽柴と柴田の対決が始まり、大名たちはまたも「決断」を迫られます。間違えたら自分の家はオシマイなのです。それから、四国への出兵、九州への出兵、最後が小田原攻め。もうこの辺になると「苦渋の決断」はなくなります。旗幟は鮮明なのです。
 ここまでは“勝ち組”にとっては「戦国バブル」でした。戦争のたびに領地は拡大するのですから。しかし「成長」はいつかは終わります。残されたのは、不満を抱えた浪人の大集団、それと過剰に雇用してしまった家臣団。過剰となった武装集団をどうするか……朝鮮出兵です。著者はここに、太平洋戦争“前夜”の日本との共通点を見ます。
 朝鮮にはとんでもない被害を与えましたが、日本はともかく「天下統一」の平和国家となりました。しかしそれは「成長なき世界」でもあります。誰かに何かを与えるには、それを誰かから奪わなければなりません。
 秀吉は「自分の跡継ぎ」に天下を譲るための「機関」づくりに奔走します。まず五奉行の行政機関。それから六大老の「年寄り」制度(小早川隆景が死亡後は五大老)。毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝の「三人の二代目」も大老の中に入っています。彼らもまた、「天下」のために働くと同時に、自分たちの跡継ぎをどうするかに苦心をしていました。そして秀吉が死にます。子供の時から秀吉の世話になっていた秀家は豊臣家に忠誠を尽くす覚悟を固め、家康以外の大老の結束を固めます。しかし、前田利家が死去。均衡は崩れます。そして事態は関ヶ原へと動き始めます。
 しかし、どちらの陣営も「親豊臣」を掲げているのに、内実は「反徳川」と「反石田」でまとまっているのですから、なんとも「天下」というのは難しいものです。著者は「関ヶ原」を「徳川vs三人の二代目」の戦い、とまとめます。もっと単純化したら「初代vs二代目たち」。これが「二代目vs二代目」だったら話は違っていたかもしれません。歴史にイフはありませんが。
 関ヶ原敗戦後の「三人の二代目」の後日談は、それぞれに「別のストーリー」です。共通しているのは三人とも生き延びたこと。そしてそれは明治維新へとつながっていくのでした。


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