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2011年06月10日00:06

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頂き物 その16

穴混んだ様の手になるアルデガン。
本日は第16話。場面が路上に戻ります。
どうぞご覧ください。


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『塞翁』            穴混んだ

その16

 泣き叫ぶエルスの前で途方に暮れていたケレスとバルトの耳に、エルスの泣き声を聞きつけたのか、何者かが自分たちの方へと走り寄ってくる音が聞こえてきた。大の青年二人が泣き叫ぶ幼年の前に呆然と立ち尽くす姿を見られれば、最悪アルデガンより追放されることになりかねない。そのことに気づいたケレスとバルトは我に返り、二人掛かりで座り込んでいたエルスを抱え上げようとした。

 その直後、二人はまるで石にでもなったかのように硬直し、動けなくなってしまう。どれだけ力を入れようとも、全身はおろか指先ひとつ、口や眉の筋肉すら微動もしない。

「(これ……は……!?)」

 実際に、自ら受けたのはこれが初めてであったが、陥った状態から何が起こったのか――否、何を「された」のか、ケレスは瞬時に理解した。

 僧侶の行使する、硬直の呪文に他ならない、と。

 この呪文を受けた者は、今のケレスたちのように文字通り硬直して一切動けなくなってしまう。そこから、自分たちに近づいてきた存在が僧職にあるものだということを連鎖的に理解する。

 そして自分たちが、呪文による実力行使も止む無し、と思われるくらい、エルスに暴行を加える不審者という判断をされたのだということも。

 自らが行使した呪文の成否は、術者には見ずとも感覚で分かる。ケレスたちに硬直が通じたことを悟っているであろう人影は、最初に近づいてきたのとは変わりゆっくりと歩いてケレス、バルト、エルスの三人の前に姿を現した。――もっとも、姿勢の都合でそれがハッキリと視認出来た者はエルス一人であったが。

「アルデガンの戦士が、幼少の者に暴行するなんて……恥を知りなさい!」

 呪文により全神経が麻痺していても、聴覚は死んでいない。そんなケレスとバルトの耳に、凛とした、年若き女の声が響いた。

「まあ、頬がこんなに腫れて……痛かったわね。もう大丈夫だから」

 エルスの手を引いて二人から遠ざけると、声の主はどうやらバルトとケレスに叩かれたエルスの頬を見たらしく、そんな言葉を痛ましそうに上げる。

「少しだけ待ってね。すぐに治してあげるから……」

 ケレスの耳に聞こえてきたのは、そんな台詞と、そしてまた呪文の詠唱であった。

 治療か……

 僧侶の呪文も魔術師のそれと同様、効果に応じて様々に分布し存在するが、分けても擦過傷や切り傷に代表される肉体の裂傷を癒す呪文は、僧侶を僧侶たらしめている代表的な呪文だった。魔物たちとの戦いで傷を負っても、僧侶たちに呪文の力が残っていれば無傷の状態に戻せるのだ。

 本来であれば、町中で起こったケンカなどで負ったケガに使って良いものではない。僧侶たちは、その癒しの力をまず魔物との戦いに傷ついた戦士たちに注がねばならない、と、アルデガンではされている。しかし条文にそうなっていたとしても、杓子定規的に守っている者が少ないのも確かだった。

 状況次第では見咎められるだろうが、洞門番の見張り任務が終われば、次の僧侶と交代し、休みに入る。そうすれば、その僧侶が残った精神力に応じて呪文を行使する分には、そう影響を及ぼすものではない。魔術師の呪文は攻撃的なものが多く、使う機会は著しく限られてくるが、僧侶の呪文はそうした町中でのケンカによるケガの治療、酒場で飲み過ぎた急性中毒者の解毒などに、暗黙のうちに使われても咎められないのもアルデガンでは通例である。褒められたことではないが、その程度で目くじらを立てられては日々、命を削って戦っている戦士たちも窮屈で窒息死してしまう。

 今回もそうした例に含まれるだろう。この女僧侶は責任を問われることはあるまい。それよりも問題はケレスたちだった。

 町中でケンカをすれば、一般民であっても重責が問われる。ましてやそれが、栄えあるアルデガンの戦士であったなら、どれだけのお咎めが科せられるか分かったものではない。

 塞翁アスローンの末裔たる身が、なんたる不名誉な!

 ケレスは事が知れた時にアザリアがどんな顔をするか想像し、心に鋭い痛覚を覚えた。女僧侶がエルスを癒している間が、ケレスにはとても長く感じられた。

 しかしそんな長く感じられた時間にも、終わりは訪れる。女僧侶がエルスに傷の様子を尋ね、「大丈夫」という言葉を聞くと、安堵のためであろう、溜め息をついたようだった。

「――さあ」

 緊急の用事が終わったと判断したのだろう、エルスの方に向いていた声が、自分たちの方に向き直ったことをケレスは感じた。

「貴方たちには、査問会に出頭してもらうわ。幼子に手を出したんだもの、追放処分くらいは覚悟しておきなさい?」

 アルデガンにおいての査問会とは、アルデガンの有力者たちが集って行われる、被疑者への審問の場のことを指す。アルデガンの住民としては、その場に被告として出頭しなければならないこと自体が大いなる不名誉であった。女僧侶もその点は承知した上で、目に一点の妥協も許しそうにない硬質な輝きを湛えて硬直した二人を睨みつけていた。

 それを耳にしていたのは、バルトとケレスは無論である。しかしもう一人、僧侶に癒されたエルスも当然聞いていた。

 そしてその言葉を聞いたエルスは、しゃくりあがる喉のことも忘れるほど驚いた。

「あ……あの……お姉、さん」

 そのエルスが、恐る恐るといった様子で女僧侶に声を掛けた。厳しい目つきでバルトとケレスを見つめていた女僧侶は、その声に反応しエルスの方へと向き直る。

「なあに? どうしたの?」

「この、二人、は――」

 助けなきゃ、と思った。

 幼くとも、エルスもまた塞翁・アスローンの血族。現代においても、術巧者として名高かった魔術師ケインの息子である。その聡明さは同年代の少年たちとは比べるべくも無い。女僧侶がケレスとバルトに告げた言葉の意味の重みは、エルスなりに理解できた。

 だから、助けようと思った。戦士の方はともかく、兄の方は助けなければならないと思った。

 エルスは兄が好きだった。父や母が大好きなように。だから女僧侶には、この件では誤解されている、と告げようと思った。そうすれば、兄が査問会に出頭させられることはなくなる筈であるから。

 そうすれば、事はケレスを救うだけにとどまらない。塞翁の系譜から査問会へ出頭させられる者を出した、という汚名から、家族を救うことになるのだ。

 だから、エルスに迷う理由などどこにもない。

 言うのだ、「それは誤解です」と。悪かったのは自分だと。二人に罪はないのだと。

 乱れる心を落ち着かせようと努力し、何度も、何度もエルスはそう心の中で繰り返した。

 繰り返して。繰り返して。

 ――それでもなお、脳裏から離れない。

 兄が、この無能な戦士に味方して自分を叩いた、その光景が。

 でも私情で動いてはダメだ。エルスは頭を激しく振った。

 自分は塞翁の末裔。父ケインの息子。公を尊び私情を廃する一族の子。

 言わねばならない。兄を、汚名から救う言葉を。

 誤解を、解く言葉、を、言わなく、ちゃ――

『謝罪も無く悪態をつき、挙句の果てに泣き叫ぶ……この、一族の恥さらし!』

 分別臭い自身の心の言葉が吹き飛び、先ほど叩きつけられたケレスの言葉が脳裏に鮮やかに蘇ると、エルスは流れる涙もそのままに激した様子で女僧侶に叫んだ。

「この二人は、最低です! 絶対に、絶対に査問会に送り込んでくださいっ!」

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