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2026年09月12日03:17

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最初の日本人アメリカ移民、ワカマツ・コロニーの夢ははかなく散り、17歳の少女「おけい」も2年後に病没

 明治2年(1868年)5月、プロシャ系オランダ人の外交官兼商人のヘンリー・シュネルに率いられた会津藩士とその家族22人がカリフォルニア州のコロマ村のゴールド・ヒルに入植した。おそらく日本人初の海外移民である。

◎会津落城後に秘かに日本脱出、カリフォルニアに新天地求めて
 会津藩士たちは、前年の明治元年8月の薩長土中心の新政府軍に若松城を総攻撃され、市域を焦土とされ、姓名が判明している死者だけで、自裁も含めて3000人以上の藩士、家族が亡くなっていた。その9月22日、会津藩は開城降伏した。
 主君容保らと藩士たちは分散謹慎処分され、後に下北半島の不毛の地に巨藩流刑となる。
 その混乱の最中、帰国するシュネルに同行して海外に新天地を求めた少数の会津藩士と家族たちがいたのだ。彼らは、薩長土の支配に服すことを拒否した者たちだったが、1人、17歳の少女「おけい(伊藤おけい)」も混じっていた(写真=会津若松のお菓子屋「太郎庵」会津総本店前に設置された銅像)。彼女は、シュネルの日本人妻の子守だった。

◎元武士が異国の荒蕪地の開拓に挑むも
 彼らはカリフォルニアにワカマツ・コロニーを開き、開拓の鍬を振るった(写真)。桑や茶、竹の苗木と種子を持ち込み、豊かな楽土を築こうと努めるが、入植地は過酷な不毛の地だった。
 藪だらけで、払えば下から砂礫だらけの地面が出てきた。半年は雨も降らない乾燥の地で、入植は失敗する(写真=入植100年を記念して1969年にカリフォルニア州の歴史史跡に指定されたコロニーの跡地)。
 もともと徒食集団の武士だった者たちだ。条件の良い土地でも開拓は困難を極めたろうが、農業に従事したこともない元武士たちには荒蕪地の開拓は無謀と言うしかない。
 2年足らずで初期の入植者22人は、ちりぢりになる。消息が分かっている人たちはほとんどいない(写真=移民団のメンバー、氏名は不明)。黒人の女と結ばれて子をなし貧窮のうちにカリフォルニアの土になった増水国之助、後述するようにおけいの墓を建てた桜井松之助(彼もまた67歳でカリフォルニアで亡くなった)くらいだ。

◎19歳で夭折したおけいの墓、日米に
 おけいも、わずか19歳で異境の地で熱病で死亡する(写真=会津若松市の洋菓子店太郎庵会津総本店外に設置されたおけいの像)。
 最後まで残った移民団の1人の前記の桜井松之助は異境で夭折したおけいを哀れみ、墓を作った。ただわざわざ遠方より入手した大理石で作った墓は、歳月を経てぼろぼろになり、その後、レプリカの墓が作られた(写真=故郷の会津の方向に向けられたおけいの墓)。
 また故郷の会津若松市でもおけいの墓が作られている(写真=会津若松市背炙山に建立されたおけいの墓)。
 最初の日本人移民で最初に没した人として。
 今も日米両国市民に忘れられていないワカマツ・コロニーのメンバーとおけいに心から哀悼の意を表する。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202609120000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(38):ブレッド島に上陸、聖マリア教会を参観」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202509120000/

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