「君子は豹変する」という言葉がある。優れた人間は過ちは直ちに改め、速やかによい方向に向かう、という意味だ。中国の古典『易経』に出てくる。
◎華北の山野に棲むキタシナヒョウ
ヒョウは秋になると毛が抜け替わり、新しい斑文がくっきりと表れることに由来するという。
この言葉で、ヒョウが中国にもいた、いやまだ生き延びているらしいことを初めて知った。中国の野生のヒョウは、キタシナヒョウ(華北ヒョウ)という固有の亜種だ(写真)。シベリア、沿海州のウスリーヒョウとは別亜種で、もともとは同一個体群だった。主に華北地域(山西、河南、河北、陝西省)や東北地方にわずかに生息する。
2015年に北京の郊外でキナシナヒョウが30年ぶりに確認され、大きな話題になった。
◎日本にも渡ったキタシナヒョウ、今は剥製が高知市に
実はキタシナヒョウは、日本にもなじみ深い。
日中戦争の最中の1941年(昭和16年)2月28日、中国湖北省の山中で日本軍の第8小隊にオスの幼体のヒョウを捕らえた。捕まえた時、ヒョウは親仔連れ4頭だったが、捕らえた仔2頭のうち、1頭を小隊長の成岡正久は宿営に連れ帰った。
ヒョウの仔は、小隊の名前をとって「ハチ」と命名された。小隊員にも慣れ、まるでネコのようだったという。
小隊長の成岡正久と兵士たちはハチを可愛がって育て、ハチも兵士たちを慕うようになった(写真=成岡小隊長のそばでくつろぐハチ)。
しかし戦局が切迫するにつれて小隊にハチを同行させることが困難になってきたため、成岡は伝手を頼って恩賜上野動物園にハチを引き取ってもらった。しかし悲しいことに、その後ハチは戦時猛獣処分の対象となって薬殺され、第2次大戦終戦後に成岡と再会した時には剥製になっていた。
戦後、復員した成岡は高知に居を定め、ハチの剥製も高知に移った。現在も、市内の「高知みらい科学館」で展示されている(写真)。
◎ユキヒョウはキタシナヒョウとは別種
一方、チベットや四川省など中国の高山地帯から中央アジアにかけて生息するユキヒョウとは別種だ。おそらく中国の古い知識人が目にしたのは、高山地帯に棲むユキヒョウではなく、キタシナヒョウだったろう。
しかし秋に毛が抜け替えてくっきりした斑文が表れるなどという生態が紀元前の『易経』の筆者にも知られていたことは、今よりずっと身近にいたのだろう。
孔子が「苛政は虎よりも猛なり」と書いたトラは、今では数十頭にまで減ったアムールトラだが、孔子が見た家族をトラに食い殺された女性は山西省の泰山の麓にいた。ヒョウのように、今は絶滅に近いトラだが、孔子の時代は里にいくらでも出没するほどトラは普通にいたのだ。
◎世界各地で激減したヒョウ
僕は、アムールトラもユキヒョウも、旭川の旭山動物園で観たことがあるが(写真=上がユキヒョウ、下がアムールトラ)、キタシナヒョウは未見だ。全中国で200〜300頭くらいしかいないらしいから、珍獣に属するのだろう。
しかし2024年にタンザニアのセレンゲティ国立公園ではるか遠くにヒョウを観た(かもしれない、という程度に遠目だった)時は、ヒョウはアフリカにしかいないと思っていたのだが、その後、アジア各地に激減しながらもごく小個体数ながら分布していたことを知り(24年11月3日付日記:「世界のヒョウが絶滅危機に、個体数も生息地も20年余で3割減、ただし一部には改善の兆しも」
https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411030000/を参照)、あらためてキタシナヒョウのことを調べたのである。
肉食獣は、農耕牧畜の広がりと人口増で、食物にする草食獣の生息域がどんどん狭められ、また個体数も激減し、つれて肉食獣も極限にまで減っている。
いつまでも生き延びてほしいと願ってやまない。
注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、
https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202605030000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。
昨年の今日の日記:「黒部立山アルペンルートととなみチューリップフェアの旅(1):雪の大谷を往く」
https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202505030000/
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