久しぶりに、中華街の肉まんと小籠包をたべたんだけれども、昔、これを発明した人とか、たべた人に幸せに
なってもらいたかったんだろうなぁ、と、思いました。
コルビュジエのユルバニスムが、
復活してくる。
気分的にね。
大事なのは、
コルビュジエみたいに、大きく
描くことだよなぁ。
細かい、実務みたいなのは、
まぁ、他の人がやればいい。
アーティスト、建築家は基本的に
つぎの時代のなにかを
自分なり
に
やっていればいい。
横浜の都市を徘徊しながら、
コロナによる緊急事態解除を経て、
ユルバニスムな気分に
なったけど、コロナで、
ゴーストタウン化がちらついたり、
横浜港から見た海が、なんで
あるかわかったり、
関係性の繁栄なんだな、と、気づいたりした。
やはりすばらしき都市を見ると、何かが
回復するのだが、それは生命が自然を
制圧したかにみえるある
フィクションであるが、コロナによって、
近代人コルビュジエが熱々と
復活してきた。
ユルバニスムの絶頂である
ランドマークタワーは
生をある確実な安全のように支配して
いてくれたのだ。
生が死を制圧したかに
みえる快楽の絶頂のように
タワーを見てもいい。
人間って、都市の到達された夢に
守られていたんだな。
あと、経済がなんであるかは、
やはり横浜中華街とか、めぐって、
わかった気がした。横浜港からみた海はわたしに教えてくれた。繁栄っていうことは、関係性の繁栄なんだとね。
まぁ、東京にせよ、同じだな。
あれくらい普通に
人がいるのに、感染者数は抑えられてるから、
まぁ、へんな所で、やたら知らない人と
話しまくらなければ、大丈夫だな。
目の前で、くちやめに、やたらマスクを外して、咳とされても、感染者数は少ないからな。
まぁ、用心して、もしなっちゃったら、仕方ないや、くらいで、
動くしかないね。
しかし、山下公園とか、のあのあたりは、風は吹くし、人と人は密にならないし、楽園みたいだったな。
そろそろ、アキバのスタジオで、撮影とかしたいなぁ。
まぁ、とりあえず、いい流れにはしたいね。
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