美学としての勇退の線
ポエジー、
ジャン・コクトーの描く線
デッサン。
退く、線、あとから、退行させているのが、わかる線だったり。
存在論的な退行とポエジーの関係
勇ましさ、が、ありながら、
退いている、
存在論的な退行がある
ジャン・コクトーのポエジーについて。
退くことと詩
存在論的な退行と詩。
敗北主義について、
コクトーは、言っていたが、
(存在論的な)
敗北的退行の優しさが、
エズラ・パウンドにあるように、
詩人の存在論は、退行のうちに、
敗北のうちに、最も、美しいものに、出会うんだろうと、思われた。
その場所について、
孤独に知っていることが、
詩人にとっては、絶対と呼ばれる
出会いなのでは、ないか。
退くことにおいて、
芸術はなる。
詩が退行したり、前に進んだりしながら、結局は、読む段階で、退行で
あることは詩にとってちょうど良いのだろう。
詩の退行について。
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