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2017年02月27日19:34

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外伝2『人狼』改稿版 その4

 第4章 砂漠の街


 約半年かけて大草原をはるかに越えてきたアラードたち三人の前に、ついに広大な砂漠が姿を顕した。
 おりしも真上から照りつける太陽の熱に焼かれて、からからに乾いた砂の海が赤茶けた姿でどこまでも広がっていた。北の王国ノールド領内にあったアルデガンの気候に慣れたアラードの想像を絶する苛烈な熱が頭上と足元から噛み付くような激しさで身を苛んでいた。灼熱地獄さながらだった。
 はぐれた羊を探す途中に黒い影の群れが砂漠に入るのを遠くに見たという者がいたが、魔物たちの群れに関する情報はそれきりとぎれた。砂漠から出てくるところや迂回するのを見たという者には出会えなかった。魔物の群れに大きく引き離されていたため相手とは四ヶ月以上の開きができていた。魔物の群れは四ヶ月も前にこの砂漠に入り、そのまま戻っていないのだ。

「大変なことになった」険しい顔でボルドフが唸った。
「なぜですか。ただまっすぐ行っただけなんでしょう?」
「ばかいえ、この砂漠はとんでもない地獄だぞ。こんなところに踏み込んだら命がいくつあっても足りん。人などあっという間に砂嵐に巻かれて自分の居場所もわからなくなって、あとは太陽に焼かれて骨になるんだ」
「むろん踏み込んだのは魔物だ。そうやすやすと全滅などせんだろう。どこかで砂漠から抜けるはずだ、極限まで飢えた状態で。それが人間の住む場所に行けば……」
 ボルドフはあたりを見回した。
「砂漠には入れん、縁沿いに行くしかないが、どこへ、どっちに行けばいい?」
「だったら東へまわってくれないか!」
 切迫した声でグロスがいった。ボルドフが訝しげに訊ねた。
「いったいどうした? なぜ東なんだ?」
「ゼリアという名の街がこの砂漠の東にある。そっちへまわってほしいんだ。そこにもラーダの寺院がある」
「そこで情報を得たいとおっしゃるんですね」
 アラードの言葉にグロスはわずかにためらう様子を見せたが、意を決したのか彼に向き直った。
「それだけじゃない。少し前に異変が起きた可能性があるのだ。それにあそこは、そなたが拾われた場所なのだ」

「……拾われた、ですって?」
 アラードはいわれた言葉の意味がしばし理解できなかった。
「私はアルデガンで生まれ育ったはずじゃ? 父も母も私が幼いうちに死んだのだと……」
「確かにアルデガンに住む者の多くはそうだ。だが、ノールドを中心に外部からやってくる者もいた。ボルドフのように自らの意思でやってきた者はむしろ少なく、幼いうちに捨てられ拾われた者がはるかに多い。そなたや私のように……」
「師父も!」
 アラードの叫びにグロスはうなづいた。
「私は東の王国イーリアのはずれにあるラーダ寺院に引き取られた。それ以外はなに一つわからぬ。魔術師の修行を終える直前に私は育ての親からそう教えられた。そして心を乱された。初陣はひどいものだった。奇跡的に死者こそ出なんだが腕や脚を失った者たちが出た。私の呪文がほんの一瞬遅れたばかりに……」
 グロスの表情が歪んだ。
「アルデガンで戦う以上迷いは敗北と、死と同義だ。にもかかわらず私は迷いを克服するのに長くかかってしまった。迷ったところで何がわかるわけでもないのに。
 だからゴルツ閣下にお仕えするようになってから私は進言したのだ。身元のわからなかった者についてはここで生まれ育ったと押し通したほうがいいと。迷いは本人や仲間の生死にかかわる、絆に支えられ迷いなく使命を果たす方が本人のためであると。
 進言は容れられた。それ以後アルデガンでは幼くして外部から引き取られた者は両親が早くに死んだという内容で経歴も作られるようになった。実際に両親をなくす者も多かったから本人たちが気づくことはなかった……」
 言葉を切って、グロスはアラードを見つめた。

「そなたのその赤い髪と褐色の目はこの大砂漠の東部一帯に定住している農耕民族の徴だ。ゼリアの寺院に預けられた詳しい経緯は不明だが、おそらく街か近くの村で生まれ、捨てられたのではないかと私は思う」
「……わかりました、それは。では、その街に異変とおっしゃるのは?」
 アラードの言葉に、グロスは背の荷物を下ろすと中から一つの宝玉を取り出した。そして荷物で陽光をさえぎった。
「光の点がいくつか見えるだろう? 夜でなければはっきりしないが」
 アラードとボルドフが宝玉を覗くと確かに光の点が見えた。しかもそれらはどれもが違う色のようだった。
「アルデガンや四つの塔に宝玉があったように、寺院にも宝玉があるのだ。力は取るに足らないもので大したことはできないが、この玉よりはどれも大きくて呪文をかけると互いを感知して光るのだ」
「つまり、この光の点はそれぞれが寺院の宝玉を示しているというのか?」
「そうだ、ボルドフ。そなたが昔訪れた西部地域の寺院の宝玉はその紫色の光だ。逆にそれぞれの宝玉からもこの宝玉が見える。それも光の位置によってこの玉の、つまり我々のおおよその位置がわかるのだ」
 グロスは宝玉を荷物に戻した。

「私はアルデガンを出るときすべての寺院に早馬を送った。我らはアルデガンを出た魔物の群れを追う。我らの位置を常に把握し噂に惑わされぬよう対処するようにと。レドラス軍が魔物の群れに出会い壊走したのであれば逃げ戻った兵士たちの話から流言蜚語が各地に広まり無用の混乱をきたす恐れがある。だから我らの場所を把握するためこの宝玉を感知する呪文を使えと。
 むろん全ての早馬がたどり着けたわけではなかろう。初めから光が点らなかった寺院もいくつかあった」
「だが、光がいったん点ったのに消えたところが一ヶ所あった。それがこの大砂漠の東、ゼリアの街の寺院の宝玉だ。今から半月ほど前になる」
 炎天の下、司教の顔は色を失っていた。
「なにしろ迂回すれば馬でも半年かかる距離だ。私も結びつけて考えなかった。だが砂漠で迷い斜めに行けば、魔物たちの足なら三ヶ月で東に抜ける可能性もある……」
「馬が手に入らなければ俺たちは一年どころではすまんぞ」
 ボルドフが唸った。


−−−−−−−−−−


 なんとか途中で馬を手に入れてやっとたどり着いたその街は、砂漠のほとりに太陽に焼かれて横たわっていた。すでに一年近くたっていた。
 遠くから一瞥しただけでは異常はないように見えた。砂煉瓦の建物が損傷をこうむっているわけでも街を取り巻く壁が崩れているわけでもなかった。
 だが、動くものの姿がなかった。あまりにも静かだった。
 ボルドフの表情が厳しく引き締められた。グロスが生唾をのむのが聞こえた。
 近づくにつれて街の細部が見て取れるようになった。東に石を敷き詰めた街道が伸びていた。どうやらそちらが街の入り口らしかった。
 入り口に馬を回した彼らの目の前に街道からそのまま一直線に街を貫く大通りが見えた。見上げた門には「ゼリア」と街の名が彫りこまれていた。
 人影はまったくなかった。大通りにも両隣に並ぶ建物にも。
 どの建物も扉や窓が破られていた。

 大通りに馬を進めた三人は一番手前の建物の中を覗いた。
 外の光になじんだ目にはなにも見えなかったが、暗がりに目が慣れるにつれてその惨状が浮かび上がってきた。
 どうやら商店か取引所らしき作りだった。だが大きな机も椅子も散乱し、周囲の窓や奥への扉が砕かれていた。途方もない力のものが暴れ込んだようにしか見えなかった。そして床や壁には、いたる所に黒ずんだ汚れが付いていた。
 部屋の隅に散らばっている物が光った。貨幣だった。
 近くのどの建物も同じだった。
「野盗ではないな。やはり魔物か」「では、寺院も」
 寺院もすっかり荒らされていた。一番奥の破られた扉の中で、アラードは砕かれた祭壇や周りに散らばった宝玉の破片を呆然と眺めていた。
 何かを期待していたわけではなかった。ここまでの長い道中に覚悟をしていたつもりでもあった。それでも己が生地のあまりに無残なありさまは彼を打ちのめした。

 彼らは街の中央の広場に出た。広場には街から村への道しるべが設けられていた。
「これで見ると一番近いのはドーラという村か」
「無事でしょうか……」
 アラードが呻いた。旅に出てから初めて目にした魔物の爪跡の凄まじさに彼は圧倒されていた。アルデガンで戦っていたとき、ここまで恐ろしい相手とは思っていなかったような気がした。
「行ってみるしかないだろう? 滅ぼされていたならここを出てから真東に向かったことがわかる。無事なら何か話が聞けるかもしれない」
 グロスの言葉に彼らは馬首を東に巡らせた。

 この街道は商人たちの行き来を想定したのか道しるべが多く、迷わず馬を走らせることができた。けれど砂漠からの熱風は枯れ果てた怨嗟のようなひりつく音をたてて廃墟から遠ざかる三人に追いすがった。いつしかアラードは、追い立てられる心地で馬を駆り立てていた。
 木立を抜け視界が開けたとたん、アラードの視野に道の中央に立つ人影が飛び込んだ。反射的に引いた手綱が蹄にかける寸前で馬を止めた。
「大丈夫ですか!」
 声をかけたアラードの目が驚愕に見開かれた。背後の二人も息をのんだが、そんなことにはまったく気づけなかった。
 若い娘だった。頭の後ろでまとめられたまっすぐな髪は赤く、見開かれた大きな目は鳶色だった。アラードと同じだった。
 だが、彼女の顔はリアに生き写しだった。

 アラードと娘が互いに見つめ合ったまま身を凍りつかせている間、ボルドフはグロスに目配せをした。グロスはうなづくと娘に声をかけた。
「すまなかった。怪我はないか? 娘さん」
 少女は僅かにうなづいたが、すぐには声が出ないようだった。やっと出た声は震えていた。
「……あなたたち、まさかゼリアの街から? いったい誰?」
「怪しい者ではない。私は巡礼だ。たまたまあの街の廃墟の近くを通っただけだ。そなたはこのあたりに住んでいるのか?」
 娘の表情が目に見えてやわらいだ。
「巡礼の方ですか? だったら母さんのために祈っていただけませんか? ついそこの、ドーラの村なんです」
「ご病気なのか?」グロスの問いに娘は口を閉ざしたが、やおら顔を上げると訴えた。
「母さんは一年前にゼリアの街が滅ぶのを視てしまったんです。それから様子がおかしいんです。お願いです! いっしょに来て下さい!」

 娘はリーザと名乗った。彼女の母はドーラの村の占師だった。だが一年前のある夜、ゼリアの街が魔物の群れに全滅させられたのを視たのを最後に力を失った。しかもそれ以後様子もおかしいのだと。
 そんな話をするリーザを馬に乗せて手綱を引いて歩くうちに、ドーラの村が見えてきた。十数戸の農家、おそらく百人に満たぬ小さな規模の村だった。
 村人はみな髪が赤く鳶色の目をしていた。アラードは無人の廃墟だったゼリアでは感じなかった感慨を覚えた。この地が自分の故郷だったという思い。実感となるために必要な記憶はなに一つなかったが、草原で見た様々な人々の営みの記憶がありえたかもしれぬ自らの姿を幻視させた。それは彼を甘く苛んだ。
 村長に挨拶をして案内された占師の小さな家は一番奥だった。

 リーザの母ローザは背が老婆のように曲がっていたが、大きな鳶色の目が神経質な印象を与える細面からは四十前くらいと見て取れた。娘が連れてきた三人の珍客に驚いた様子で針仕事を置き杖にすがって立ち上がった。見ると左足が短かった。
「巡礼の旅の途中に砂漠で廃墟の街を見ましたが、そこからこの村へ来ましたら娘さんに随分と驚かれましてな。聞けばあの街のことをご存じとのこと。できれば宿をお借りした上でお話しでもおうかがいたいと思いましてな」
 巡礼の型どおりに癒しと招福の祈りを捧げたグロスが話す間もローザの目は彼らを値踏みするように見ていた。アラードは占師と呼ばれる者には初めて会ったが、見すかされているような気がして落ち着かなかった。
「納屋でもよければ泊めてあげるよ。でも、あの街の話は夜にはとてもできやしない。リーザ!」「なあに? 母さん」
「客人だ。これじゃ水が足りないよ。汲みに行っておくれ」
 リーザは怪訝そうに母の顔を見たが、うなづくと水桶を持って出ていった。
 リーザには聞かせたくない様子だった。アラードはどんな話になるのか、なんだかわかるような気がした。

 ローザはしばらく聞き耳をたてている様子だったが、やがて三人に鋭いまなざしを向けた。
「あんたたち、巡礼じゃないだろう?」
「……なぜ、そう思われる?」
「あれからこの道はみな怖がって来ないんだ。巡礼ならなおさらさ。だいいち街道を通らなきゃ巡礼地には行けないのに、あんたたちは砂漠のそばをずっと来ただろ。でなけりゃそんなに日焼けするもんか」
「これは参った。もっと気をつけないといけないようですな」
「これでも占師だったんだ。今はただのお針子だけどね」
 自嘲の笑みを浮かべながらも、その目は彼らを探っていた。
「で、どうしてあたしの話が聞きたいんだい?」

「我らは魔物の群れを追っている」
 ボルドフが静かにいった。
「たった三人でかい? そんな馬鹿な!」
「むろん正面から挑めはしないが、それでもやつらの被害を少しでも抑えたい」
 ボルドフはローザの目をまっすぐ見た。
「あの街が魔物に滅ぼされたのを見たと聞いたが?」
 ボルドフの視線を受けたローザの顔が苦しげに歪んだ。逡巡の後、しかし彼女は思いつめたように口を開いた。

「一年たってもまだうなされるんだ」
 声がかすかに震えていた。
「あたしはとんでもないもんを視てしまった。遠見の力があったばかりに。しかもそのせいで力まで無くしてしまった」
 ローザは椅子にかけ直すと、杖をぎゅっと握りしめた。
「この話は嫌なんだ。なるべく手短かにさせておくれ!」


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