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2024年03月28日21:01

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「からゆきさん」 木村荘十二監督

「からゆきさん」
神戸映画資料館にて。
入江ぷろだくしょん1937年3月公開、
鮫島麟太郎原作、畑本秋一脚本、木村荘十二監督、入江たか子、清川虹子、清川玉枝、毛利菊枝、島田好乃、三條利喜江、大月光子、伊達里子、丸山定夫、北澤彪、滋野ローヂェー、ら。
「からゆきさん」という言葉については、20代前半の頃に読んだ山崎朋子著「サンダカン八番娼館」の中で知るに至り、田中絹代や栗原小巻らが出演する熊井啓監督映画「サンダカン八番娼館」については50歳位の時に鑑賞しました。実際に東マレーシア(ボルネオ)のサンダカンや、シンガポールに遺る日本からの"からゆきさん"らの
墓の数々も目にする機会を得ましたが、映画の副題である「望郷」という感情を抱えながら現地で永眠していった一人一人の人生に胸が締め付けられる思いでした。
さて、
この「からゆきさん」という映画作品は、からゆきさんという職業を経て、縁あって今は亡きイギリス人?と結婚し、シンガポールから故郷の長崎県島原?へ戻り、家を建て、一緒に連れて来た一人息子の出世を見届けようと、頑張る おゆき(入江たか子)らに対する冷たい世間の目を描いています。近所には、元からゆきさん達が住んでいます。火事で焼け落ちた公民館再生の為に頭を下げられて寄付をし、その落成式における感謝状受け取りを一人息子アントンに託したのですが、
肝心なところで「からゆき〜」というヤジが飛び、式典は混乱で台無しになってしまい。息子の晴れ舞台を見届けようと舞台隙間から覗いていたおゆきの怒りは頂点に達し、舞台に躍り出て「あんたらは人間じゃなか、蛆虫じゃ!」と繰り返し嘆き叫びながら、首から掛けていたロザリオ(十字架ペンダント)を引き千切って床に叩き落とします。このシーン、しかも島原(の筈)を舞台に演出させるなんて、何処までの意図を企てていたのかどうか? 兎に角、そんな汚い台詞が不思議と板に付く"美人"女優もなかなかいそうもありません。おゆきを演じた入江たか子、流石に他作品で化け猫を演じたり、と、髪を掻き乱しながら、美人女優の面をもかなぐり捨てるような熱演ぶり、たいした役者根性です。
世間の目が冷たかったのは、おゆきの過去の職業を知っていた人がいて、故郷で噂が広まった為でした。息子アントンは混血という理由のみならず、からゆきさんの子供という理由で学校で虐められますが、唯一救いだったのは、北澤彪が演じる学校教師が苛めっ子達を嗜めていた事でした。教育者までがもし虐めに加担しようものなら、それはもう救いがありませんから。
祖国で、しかも故郷の島原(の筈)で息子と
生きていこうとしていたおゆきも、結局は将来を思い遣り、亡き夫の弟(兄?)に連れられた息子アントンがイギリスへ渡る事を港へも見送りに行かず、一人で家の中で耐え忍びます。
貧困、祖国、封建、道徳、偏見、愛すべき故郷にも偏見渦巻く村人達の身勝手さ、息子を出世させる事が亡き夫への恩返しだと思い込む信念、、、
様々な事を考えさせてくれました。映画後半の舞台は大正時代に入っているのですが、ネット社会ではない昔であっても、人間というのは、好んで噂を拡散したり、人の不幸を喜んだり、幸せになろうとする者の足をどうして引っ張りたがるものなのでしょうか。
映画の冒頭、
明治39年のある日の夜中、長崎県?のとある港沖に停泊中の大型船に数人の娘を乗せた小型船が霧の中で近付き、沖渡しをしています。からゆきさんとなって、東南アジア?へ売られて行こうとするシーンです。シーンそのものは同じではないのですが、無理矢理に麻袋に詰められ海岸から小型ボートに乗せられて、沖で停泊している船で北へ拉致されていく日本人達とダブってしまいました。
1937年3月公開というのは、伊丹万作&アーノルドファンク両監督による原節子主演「新しき土」が圧倒的物量による宣伝と人集めで話題を独占?していたはずの時期だと思うのですが、今回この「からゆきさん」を鑑賞して、マイナー会社であった入江ぷろだくしょんの意地を垣間見た気がします。

上映後に行われた木下千花先生講演では、
監督の木村荘十二という名付け背景について
も教えられました。
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