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2018年05月26日07:22

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何を改革?

 「働き方改革法案」というものが国会に出されていますが、これって素直に読んだら「こき使われ方(こき使い方)法案」になりません? 使う側から見たら「高プロ」には「月の残業時間の過労死ライン」が消えるのでとっても便利にこき使うことができそうです。最近の過労死裁判ではものすごく機械的に「残業時間」が問題にされるから、使う側は「やりにくくなったなあ」と思っていたでしょうから。

【ただいま読書中】『不道徳な見えざる手』ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラー 著、 山形浩生 訳、 東洋経済新報社、2017年、2000円(税別)
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 この世は「カモ(Phool)」と「釣り(phish)」に満ちていて、人々は上手く釣られて自分に不利な未来を選んでしまう、と著者らは主張します。彼らは「自由市場システムの崇拝者」ですが、だからこそこのシステム自体が内包する「ごまかし」や「詐欺」について、きちんと知らせたいのだそうです。
 「カモ釣り」による「まずい意思決定」の最古の例は、アダムとイブですが、経済学の根本にあるのは「市場均衡」の概念です。ここで登場するのは「シナモンロール」「トレーニングジム」「肩の上のサル」。
 アダム・スミスは『国富論』で「各人が自分の利益を追求すること」が「見えざる手」として自由市場を良いものにする、と述べました。現代の経済学では競争的な自由市場均衡は「パレート均衡」で説明されます。しかし本書では「各人が自分の利益を追求する」に大きな疑問符が投げかけられます。「釣り」によって「カモ」は自分の利益ではなくて他人の利益のためにせっせとお金を貢ぐことになりのですから。
 カモ釣りがよく観察されるのは「広告」「自動車、住宅、クレジットカード」「政治」「食品、医薬品」の分野です。たとえば「物語としての広告」の洗練された手法で「私たちのニーズ」ではなくて「彼らのニーズ」が満たされたとき、私たちは「カモ」として釣られたことになります。それぞれの分野で代表的な「カモ釣り」の事例が紹介されますが、読んでいてひやりとします。どれも“身に覚え"がありますので。
 「S&L危機」「ジャンクボンド」「サブプライムローン」などになると、話がややこしくて私はついていくのが大変です。まあそれはそうでしょう。当時は経済のプロでさえ騙された(釣られた)のですから。ただ基本は常に同じです。「不道徳な手段を駆使して、とんでもない大金を稼ぐ少数の人がいる(=財産を失う多数の人がいる)」。
 自由市場はたしかに「均衡」が重要です。しかし現在の資本主義では「釣りの均衡」があまりに大きくなってしまっているのが大問題だ、と著者らは主張します。
 そこに登場するのが「英雄たち」です。私たちが釣られる大きな要因は「情報(の格差)」と「心理的要因」です。「英雄たち」は「情報」について働きかけ、人々の損害を少しでも小さくしようと活動しています。たとえば「品質基準(をきちんと管理する人々)」。労働環境などにまで目を配る消費者団体の市民活動家。ビジネス界や政府にも「英雄」はいます。もちろんそういった「規制」に対するアンチの運動も盛んなのですが。
 そして、ほとんど解決の手がないように見える「心理釣り」。これは私たちの内部に「釣られたい」という本能(本書では「肩に乗ったサル」)があるため、容易に釣られてしまう、という困った現象です。さてどうしたら?
 実は本書には明快な「回答」はありません。ただ「ヒーローたち」が増えれば、「自由」と「平等」と「友愛」がすべて成立するかもしれない、とは思えました。理想はとっても遠いけれども。


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