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2018年05月16日06:41

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複雑な味

 先日入ったラーメン屋に「豚骨+鶏+昆布+鰹節のスープ」をウリにしているメニューがありました。たしかに味を複雑にしたらそれだけ美味いのかもしれませんが、あまりに複雑にしたら、結局それぞれの特徴が消されてしまいません? もうちょっとシンプルに構えても良いんじゃないかなあ。個人の好みが違う以上、どうやったって「万人に一律に受ける味」なんて生み出せないのですから。

【ただいま読書中】『ラーメンの語られざる歴史 ──世界的なラーメンブームは日本の政治危機から生まれた』ジョージ・ソルト 著、 野下祥子 訳、 国書刊行会、2015年、2200円(税別)
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 「ラーメンの起源」として3つの説が紹介されます。最古は有名な「水戸黄門が食べた」。次は開港直後の外国人居留区での「南京そば」(葱だけの簡単な汁麺)。最新は1910年浅草来々軒の「支那そば」(チャーシュー、ナルト、ホウレンソウ、海苔が乗った汁麺。のちにシナチクも)。ほぼ同じ時期に長崎には「支那うどん」があり、これはチャンポンになっています。
 1870年代以降小麦と肉の生産が増加、1880年代主に横浜地域に中国人移民が増えて中国の食習慣がもちこまれて「支那そば」が生まれましたが「支那」は日清戦争の敗戦国のイメージ(当時は差別用語の一つだったはず)で、都市の下層労働者のための食べものという扱いでした。しかし、「早い安い美味い、肉も入っている」支那そばは人気を博し、1930年代には「ラーメン」と呼ばれるようになりますが、戦争の食糧不足で姿を消しました。
 戦後アメリカから輸入された小麦は、米不足を補うために活用されましたが、その一つが「中華そば」でした(「支那」は戦争を連想させるので避けられたようです)。輸入小麦には政治的な使命もありました。都市住民が空腹から暴動を起こしてはまずい、またアメリカに対する好感度アップをはかる、という政治的な判断もあったのです。もっとも、闇市で中華そばが食べられること自体が、米軍と闇業者とが癒着している証拠だったのですが。
 やがてラーメンは、労働者の高カロリー昼食の定番となり、若者にも受け入れられました。1958年に最初のインスタントラーメン、71年にカップ麺が売り出されます。ラーメンが受け入れられるのと歩調を合わせるように日本人の米の消費量は減少します。しかし国内での小麦生産量は増えません。むしろ減っています。この辺にも「アメリカから小麦を輸入したい」という“ポリシー"が働いているようです。
 ラーメンがマスコミで盛んに取り上げられるようになったのは1980〜90年代。ラーメンは「国民食」になります(新横浜のラーメン博物館は94年開館です)。しかし、無理やり「ご当地ラーメン」をでっち上げようとして失敗した無残な例もあります。
 21世紀にラーメンは「グローバルな食べもの」になり、世界のあちこちで愛好されるようになりました。1999年〜2005年にメキシコでのインスタントラーメン販売量は3倍(年10億食)になりましたが、同時期に豆の消費量は半減しています。日本で米の消費量が減ったことを私は想起します。
 私が好きなラーメン屋が、半年くらい前から味が落ちてきて、とうとう先日閉店してしまいました。私はちょっとがっかりしています。気分転換に、上京するときに新横浜で途中下車してラーメン博物館に寄ってみようかな。サイトを見ると、全国どころか、アメリカやドイツのラーメンまであるそうです。ちょっと面白そう。


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