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2018年05月07日06:53

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好き嫌いの強制

 子供に向かって「魚を嫌いになりなさい」とか特定の食品を嫌うように強制する親や教師がもしもいたとしたら「その動機は?」「その結果生じるメリットは?」と私は聞きたくなります。そもそも好き嫌いは他人に決められるものではないでしょう? ところで「好き嫌いをせずに食べなさい」と子供に強制する親や教師についても同じような感想を私は持ってしまいます。だって「好き嫌いは他人が決めるもの」ではないでしょうから。とりあえず手始めに「子供にそんな強制をするあなたは、『好き嫌いが全然ない人間』なんですか?」の質問から始めようかな。

【ただいま読書中】『トルストイの日露戦争論』レフ・トルストイ 著、 平民社 訳、 国書刊行会 現代語訳、 国書刊行会、2011年、1500円(税別)
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 明治37(1904)2月8日日露戦争開戦。
 明治37(1904)年6月27日「ロンドンタイムズ」紙にトルストイが日露戦争に関する論文を発表しました。「キリスト教徒であるロシア人」と「仏教徒である日本人」が戦うとはなんたることだ、とトルストイは主張します。さらに戦争を正当化する人びとについても、その態度の正当性を厳しく問います。たとえば「日露戦争はハーグの平和条約と矛盾しない」と主張する演説は「危険な術(レトリック)を巧みに使う」「合理的な思索に欠けている」と酷評です。そして、先年のボーア戦争とこの日露戦争を「いつ世界的大殺戮を引き起こさないとも限らない争い」と、日露戦争に続く二つの世界大戦を予想しているかのようなことをトルストイは書いています。実際に、日露戦争の“教訓"によって第一次世界大戦は激しく戦われ、さらにその“延長戦"として第二次世界大戦が戦われたわけです。
 「戦争に対する処方箋」としてトルストイは「宗教」を言います。敬虔なキリスト教徒だったら「聖書をきっちり守れば戦争なんか起きるわけがない」は“自明の理"なのでしょう。だけどねえ、トルストイの時代までにも「異教に対する宗教戦争」や「異端への迫害」で人を殺しまくっていたのも「宗教」なんですよねえ。トルストイもそれはわかっているようで「神と人の不変の関係から流れ出る大きな愛」と「キリスト教の皮をかぶっている浅はかな迷信」とを峻別しています。
 「では、目の前の危機(日本の侵略)に対して何もしないのか?」という問いが出そうです。それに対してトルストイは「私が死ぬとき、神は『お前は旅順を守るために死んだのか?』などと聞きはしない。もっと別の、はるかに大きな命令が私には神から下されていたはずである。それは『他人を殺せ』ではない」と公言します。みごとに反体制的な発言です。主張はさらに「非暴力・不服従」に進みます。たとえ「敵」に殺されたとしても、それが神の意志なら従うべきだ、と。過激です。
 従軍牧師は「敵を殺せ」と説きます。しかしそれに疑問を持つ兵士が、トルストイに「神の意志」について問い合わせの手紙を送ったことも本書にあります。ロシア革命の“芽"はすでに育ちつつあり、そこにトルストイ(たち)がせっせと“肥料"を与えていたようです。ではこの論文は日本で何かを育てたのでしょうか?


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