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2015年01月05日16:15

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窓ガラス

 窓ガラスが必要なのは、風や雨を防いで光は通すためです。ならば液晶や平面スクリーンが発達したら、「窓ガラス」は不要になりますね。自動車はすべて戦車のように完全装甲、ビルはのっぺりとした壁面だけ。でも内部では外を見ることも好みの映像を映すことも自由自在。
 犯罪者や誘拐を警戒する人も喜びそうですね。「車の窓ガラス」に映像を投射して、車の中には別人が乗っているように見せかけることが可能になりますから。さてさて、そんな社会では、どんな常識が成立することになるのでしょうか。

【ただいま読書中】『視覚障がいの歩行の科学 ──安全で安心なひとり歩きをめざして』大倉元宏・清水美知子・田内雅規・村上琢磨 著、 コロナ社、2014年、1800円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4339072370/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4339072370&link_code=as3&tag=m0kada-22
 歩行で重要なのは、オリエンテーションとモビリティ(本書ではOMと略)です。本書では視覚障害者の歩行でのOMの困難さとその訓練について科学的に迫り、補助器具の活用についても述べています。
 「オリエンテーション」は、現在地と目的地の関係を把握することです。「モビリティ」は、現在地と目的地の間を安全・効率的に移動する技術・プロセス。OMの途中では「ナビゲーション」が重要となります。そこで視覚障害者が使用できる手がかりは、勾配・音響・距離感・点字ブロックなど様々です。視覚以外の感覚と知識と経験をフルに使っていることがわかります。しかし道路の状況は様々。本書にも「角を曲がる」「道路横断」「横断歩道」などいくつかのモデルが示されていますが、それぞれで得られる情報は異なり、視覚障害者にとっての難度が上がっています。さらに(自転車を放置したりして)人為的にその難度を上げる人もいるのだから、安全確保は大変です。
 「視覚だけではなくて歩行まで失ったら、その人は社会の一員ではなくて植物に近い状態になってしまう」というLevyのことばがあります(1872年)。歩行獲得のための施策は「OM訓練」「エイド(歩行補助具)」「移動支援設備」です。OM訓練でポピュラーなのは、白杖を使用しての歩行訓練。訓練の場所としては、施設や自宅が使われます。エイドとしては、触地図(触ってわかる地図)・GPS・白杖・盲導犬・電子式歩行補助具などがあります。盲導犬を補助具というと違和感がありますが「エイド」と言えば納得ですね。移動支援設備として、点字ブロックや音響交通信号は、日本は世界に先駆けて普及させました。人的支援より物的支援の方が望ましい、ということだったのでしょう。ところが「国内標準」を作らなかったために様々な点字ブロックが登場し、国際標準を作るときに先進国であるはずの日本の意見が出せない、という変な状況に。
 視覚障害者と一口に言っても、障害の程度の差もありますし、中途失明か先天的かによってもまったく違った状態となっています。ですから「科学」が必要になるのです。使えるものは何でも使って、人が社会の中で「植物」ではなくて「人」として生きられるようにすることは、たぶん私にとっても利益があるはずです。社会で“使える人材”が多いのは良いことですし、私自身いつ視力を失うかはわからないことなのですから。


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