mixiユーザー(id:6354345)

2023年08月27日08:27

21 view

風林火山伝 第2部 第51話 信長の遺骨探し その5


武田信玄は書状を開けた。その書状はなんと織田信長の正室 帰蝶からであった。
その書状には「信長の霊は越後に向かっています。おそらく信長は謙信に乗り移り、信玄様の本拠地、甲斐、信濃を攻めるでございましょう。急ぎ、信長の遺骨を見つけ出し、
信長の霊が成仏されることを祈っています。油紙を同封いたしました。これを信長遺骨探しをしている佐吉に渡してください。遺骨のありかをつきとめる手がかかりになることでしょう。」と書かれていた。そして、その書状にはなんと油のしみた斎藤家の家紋が入った油紙が同封されていたのであった。

石田佐吉は明かりに向かって洞窟を突き進んだ。そして出口にたどり着くと、そこは河原であり、目の前に川が流れていたのであった。佐吉はその川が鴨川であるとすぐに分かった。佐吉は信長の遺骨は鴨川に沿ってどこかに運ばれていったのだと推測したが、北に運ばれたのか、南に運ばれたのか手がかりがつかめなかった。
佐吉がしばらく考え込んでいたところに、日承上人は「おそらく信長の遺骨は船を使い鴨川を北にさかのぼり、運ばれたのでしょう。」と佐吉に言った。
「なぜ船で信長の遺骨が北方向に運ばれたと分かるのですか?」
「佐吉よ。これは私の感じゃよ!おそらく信長は京の都にて眠りにつきたいのが本望であろう。」
「日承上人様、お言葉ですが、佐吉は根拠のない感に頼るのには承服しかねます。しばらく、このあたりをしっかり調べるべきです。納得のいく証拠がない限り、次の行動に移すことはこの佐吉にはできません。」
「佐吉よ、河原をよく見ろ!かすかであるが、数人の足跡が北の方向に向かって残っておるぞ。おそらく信長の遺体は船を使わず数人の手により河原沿いを歩いて、担がれて運ばれたのではないのか!」
「久秀殿、この足跡の残り方からして、約2週間前につけられた足跡でしょう。佐吉、納得しました。日承証人の言うとおり、北へ進みましょう。」と言い、かすかに残された足跡を手掛かりに鴨川沿いを北にさかのぼったのであった。また、佐吉は確証はないが
恐らく信長の正室 帰蝶の手のものにより信長の遺骨は運ばれたと推測していた。

そのころ、越後では上杉謙信が毘沙門天の前で、毘沙門天より教えを乞うためにここ2週間あまり、毎日、毘沙門堂にこもり、祈りづづけていたのであった。そしてある日、毘沙門天の目が光り、毘沙門天は「謙信よ、信濃、甲斐を攻めよ!」と謙信に言ったのであった。なんと恐ろしくも信長の霊は毘沙門天に乗り移っていたのであった。
そして、謙信は毘沙門天を神の言葉と信じ、春日山城に久しぶりに姿を現し、家臣を
集め軍議を開いたのであった。時は元亀4年(1573年)3月24日であった。

                                つづく

2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年08月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031