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2020年06月20日08:49

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花咲ける孤独

思えば、生まれた場所は地元意識のもとであるし、同時に地価・賃料による所得水準による棲み分けが行われている。その後年齢及び学力水準により教育の各段階ごとに区別されていく。その間に趣味・趣向の合う「友人」という差別機構のもとに異質な存在を排除する。結果的に、知らず知らずのうちに周囲には自分と同質の人間しかいなくなり、それ以外の人間とは言葉を交わす機会もないくらいに隔離された状態となる。

SNS等、だれでも発信できる場で発信されるあれこれをみるにつけ、普段我々がいかに同質な者のみの集団にいるのかに気づかされる。あまりに自分の価値観と異なる言説を目にする、しかもかなりの数になる、...直感的に物理法則に準じた理解をしてしまうことで、不安はさらに大きいものとなる。
(実際のところ、SNS上の数や記載されているプロフィール等あてにならない。それを表面的に理解している反面、「あえて偽ったり複数アカウントで意図的に拡散するような悪質なユーザーはごく少数であるはずである」という考えにより結局のところ信じてしまう人が多数であることを逆手にとっている人々がいるであろうことは気を付けておきたい。)

自分は正しく、自分と異なる意見は間違っており、そんなことを考える人がいることを悲しいなどと思い、どうしたらわかってもらえるか説得に腐心する。お互いに。

「”ちょっと寂しい”が丁度いい」。先日読んだ本の帯にそんな言葉が書かれている。薬物依存症患者等が周囲への過度な依存から回復していくと時の心得である。我々もやはり依存症である。依存症でないと思っている分量だけ重症だとすらいえる。

人とは関わらないことだ。一人で生きていく。そんな私を、「悲しい」と言って説得しようとしてくれる友人を憎まなければならないことが残念でならない。本当に残念でならない。
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