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2019年11月08日16:20

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詩とはいえないけれど

  標的

その幼児に
世界はどのように見えたのだろうか
泣けば抱き上げてくれ
困ったときには何をおいても
助けに来てくれるはずの父と母が
エアガンを撃ってくる
自分の顔に向けて

生まれる前の暖かい闇に戻りたい
やさしい律動が永遠につづく場所
光の中に出てきて少しすると
笑いながら撃たれるようになったのだから
顔に手をかざすと 手に激痛が走り
悲鳴とともに手をおろす
するとすかさず顔にヒットする

やさしい時もあった大きな影たちに
手を伸ばして近寄っていく
(抱き上げられる時いつもしたように)
すると背の高い影が撃ってくる
あんな日々はぜんぶ嘘だったんだよと
じっと狙って撃ってくる
照準の先で悲鳴になって倒れ
それでも立ち上がろうと
見上げると影の目が真剣なのだ
わからない
なにもわからない

自分がやってきた世界が ここ
過酷で不思議なところだった
逃げ惑うことと火のように泣くこと
それだけ憶えると
世界は ある日消えてくれた

*詩とは言えないものを書いた。いろいろと信じられないようなことが連日ニュースを騒がせるが、それらについて良識の立場から判定を下すことが詩の仕事ではないからだ。児童虐待については特に痛ましい事件が多く、そのたび無力感に襲われるが、今回なぜ文字にしたのか考えてみると、私は自分が生きたこの同じ世界を、死んでいった幼児はどのように記憶したのかということがあまりに気になったからだった。それは同じ世界ではないという人もいるかもしれない。その子は世界という概念ができる前に死んでしまった。しかし子どもの心理学などでは赤ん坊には母親が全世界だという言い方も聞く。赤ん坊にも幼児にも世界はあったのではないだろうか。幼児はまだ圧倒的に親と同化している存在だろう。その親から攻撃を受ける(しかも人間が他者を殺すために作った道具の模擬具を使って)というのは生命にとっては逆流現象で、わけのわからぬ恐怖しかないのではないかと思う。しかしそれらもみな想像であり、理屈であり、未解析のデータであり、子どもがいなくなった法廷での裁判記録である。私は詩にならなかった言葉を記しておく。将来これに手を入れて詩になることがあったら、何が違うのか見ていただきたい。



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