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2018年06月30日06:58

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1勝1敗1分け

 サッカーワールドカップロシア大会で、日本チームは「1勝1敗1分け」で決勝トーナメントに進出しました。負けてもこれだけ褒められるチームは珍しいとは思いますが、ともかく決勝トーナメントですから、めでたい。
 「ワールドカップグループリーグ」「1勝1敗1分け」で私が思い出すのは、日本代表が初めてアジア予選を突破してワールドカップに参加できた1998年フランス大会です。日本が入ったグループHの組み合わせをみてテレビなどでの「予想」の多くが「アルゼンチンにはぼろ負けは仕方ない。だけどクロアチア戦をなんとか引き分けに持ち込めたらジャマイカには勝てるだろうから、1勝1敗1分けで決勝トーナメントにいける」というものだったのに、私はあきれました。だって「勝つ根拠」も「負ける根拠」も示されない、単なる願望だけだったのですから(しかも「1勝1敗1分けなら決勝トーナメント、という根拠も示されていませんでした)。これが「相手のエースの特徴」「相手の監督の得意戦術」「それに対する日本の対策」「他国同士の対戦の結果予想」などを述べた上での「予想」だったらある程度納得できたんですけどね。
 今回「まさかのコロンビア戦勝利」の直後に示された「予想」がちゃんとそういった根拠を示しつつの願望だったのを見ると、日本チームだけではなくて、日本のスポーツマスコミも少しずつですが進歩していることがわかります。善き哉。

【ただいま読書中】『リンドバーグ第二次大戦日記(上)』チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ 著、 新庄哲夫 訳、 新潮社、1974年、1900円
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 1938年3月11日、子供たちを英国に残したまま一時アメリカに帰国中だったリンドバーグ夫妻は、ドイツがオーストリアに侵入したことを船内新聞で知ります。イギリスで会ったメルケル氏(ルフトハンザ航空の幹部)は、ドイツが極秘に開発中のフォッケ・ウルフ・ヘリコプターについてもあけすけに語ります。
 フランコはスペインで勝利が間近、ヨーロッパでは戦争が近づく足音が高くなっています。フランスは政情が不安定で革命の気配さえあります。イギリスでは「大英帝国の没落」を著者は肌身に感じます。航空機の軍事利用に著者は強い興味を持ち、その可能性を信じ、スペインと中国での爆撃の成果が小さいことに失望を隠しません。
 リンドバーグ夫妻にとっては「新聞記者」が常に配慮するべき問題です。客船に乗っても、記者がずかずかと船室に押しかけてこないように出港まで船員室に隠れます。別荘地として島を買う場合も、わざわざダミーの会社を経由します(これも記者が島に押しかけてこないようにするためでしょう)。パリのホテルでも誰がいるかわからないから食堂には降りず部屋に籠もります。うっかり見つかったらもみくちゃになり目の前でフラッシュを焚かれるのです。
 ソ連の視察旅行で訪問した女子飛行士学校で、著者は「女性は飛行士ではなくて他の分野で活躍するべき」と感想を書いています。ご夫人は女性飛行士だったのでは?
 ドイツによるチェコ侵攻が迫り、ロンドンは緊迫します。ガスマスクの配布が始まりますが、数が足りません。しかし著者は、爆撃の脅威を誰も本気で心配していないことの方を心配します。私は、イギリスに「親独派」が非常に多いことに驚きます。「ヒトラーはまともな政治家だ」と“信頼"を語る人がリンドバーグの回りにはけっこう多いのです。
 フランスやイギリスの空軍戦力があまりに脆弱なため、アメリカの中立法を犯さずに航空機を英仏に供給するため「国境を少し越えたカナダ領に工場を作ってそこから供給する」というトリッキーな案が真剣に検討され、リンドバーグもそれに参加することになります。難点はいくつも見えますが、一番現実的な方法ではありそうなのです。
 そんな時期なのに、リンドバーグはソ連に続いてドイツに航空事情の視察に出かけ、この冬は一家でベルリンで過ごそう、なんて計画を立てています。ドイツ側も平気で最新鋭のJu88型機(第二次世界大戦でドイツ空軍の主力爆撃機となった機体)をリンドバーグに見せ、操縦までさせています。最高軍事機密ですよねえ。まだ「空」には「牧歌的」な雰囲気が残っていたのでしょうか。フランスも最新鋭のアミオ爆撃機を見せてくれ、著者はその機体に感心しています。だけど航空博覧会には各国は最新鋭機を出展せず手の内を隠しています。全然隠れていないんですけどねえ(実際リンドバーグは各国の最新鋭機のデータを全部掴んでいます)。 
 リンドバーグ一家はまるで「流浪の民」のようです。どこでも新聞に居場所を嗅ぎつけられると大きくあることないことを書き立てられるので「安住の地」がありません。一家はアメリカには「自宅」が構えられなくなっています。「セレブ」の生活は大変です。
 1939年3月16日の日記にヒトラーがチェコのプラハに入城したと記されます。リンドバーグは妻と子供たちを戦争中はどこで過ごさせるかを考えます。平和なアメリカで新聞や犯罪に脅かされるのと、戦時下のヨーロッパで過ごすのと、どちらが「安全」か、の選択です。英仏は「次」のポーランドに注目しています。ここに火がついたら「戦争」だ、と。さらに、イタリアのエチオピア侵略に対する国際社会の経済制裁の行方もリンドバーグは心配しています。腹を立てたイタリアがフランスに無理難題を要求していて、これも戦争の火種なのです。新聞は嘘を書き立てます。その中から一片の真実を得ようとリンドバーグは目をこらしながら、アメリカに“帰国"します。マイホームはなく家族も不在の“母国"へ。マスコミだけではなくて、政治家や軍人もリンドバーグを不愉快にすることに熱心ですが、親しい友人や家族が彼の救いとなっています。また、サン=テグジュペリとの歓談も実に楽しそうに記述されています。サン=テグジュペリは英語が話せず、リンドバーグはフランス語が上手くなく(夫人のアンが通訳をしてくれてはいるのですが)、言葉以外の部分での密な交流があったのではないか、とこちらは感じます。
 9月1日、新聞はでかでかと「ドイツ軍、ポーランドに侵入す」と大見出し。これまで何年も「戦争が起きるぞ、起きるぞ」と煽り続けていた新聞は、やっと「予言」が本当になってまるで喜んでいるかのようです。そしてリンドバーグは「自分にできることは何か」を考え、行動を始めます。戦争そのものが無益な行為だとリンドバーグは信じていて、ヨーロッパで起きたのは仕方ないにしてもそれによって祖国が大損害をこうむることは避けたい、と考えています。しかし、リンドバーグが自分の意見を引っ込める(演説して回るのをやめる)のなら、空軍省を創設してその初代長官にしても良い、という提案を、本当にローズヴェルト大統領はしたのでしょうか? もし本当なら、ローズヴェルトは参戦したくて仕方なかった、ということなのですが。
 ラジオでの演説に対して、脅迫状が舞い込み始めます。ことは「戦争」だからでしょう、単なる個人攻撃ではなくて、「お前の意見が気に入らないから、お前の子供を殺してやる」という脅迫です。なるほど、ネットでの過激な荒しの御先祖様がこのあたりにいます。
 アン・モロウ・リンドバーグもまた、第一に戦争反対、第二にアメリカが戦争に巻き込まれることに反対、で「平和への祈り」という小論を書き上げリーダーズ・ダイジェストに投稿します。
 リンドバーグが妻の文才を高く評価していることが、日記のあちこちに現れます。また、リンドバーグが二本指でしかタイプライターが打てない、なんて小さな事実もわかって、この二人の「文筆生活」はどんなものだったのだろう、と私は微笑ましい思いを持ちます。ただ、二人とも「将来自分の日記を出版すること」を前提に日記を書いていて、そういった意識を持って生きるというのはどういうものだろう、と、こちらは私にはよくわかりません。


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