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2018年06月21日06:55

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海と陸の相互依存

 今日読んだ本は、「カリブ海はどこ?」という“クイズ"から始まります。たしかキューバの南あたりじゃなかったっけ?だけど東西はどこまでだろ?なんて私は自信なさげに世界地図を指さします。ただ、海を規定するのに、半島とか島嶼部とか「陸」によって「海」の範囲を決めるのは、ちょっと変な気もします。その「陸」もまた「海」で範囲を決められているのですから。

【ただいま読書中】『ハイチの栄光と苦難 ──世界初の黒人共和国の行方』浜忠雄 著、 刀水書房、2007年、1600円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/488708501X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=488708501X&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=aca14f063b7616939ebeb5e63d57c500
 カリブ海には13の独立国があります。ほとんどは元英国領なので、言語は主に英語、宗教は英国国教会かカトリック。しかしドミニカはスペイン語とカトリック、キューバはスペイン語で宗教は自由、そしてハイチはフランス語かクレオール語で宗教はブードゥー教・カトリック・プロテスタント。この表を見ただけで、それぞれの国の“過去"がいろいろ想像できます。
 コロンブスの到着後スペイン領となったイスパニョラ島は西半分が1697年にフランスに割譲され「サン=ドマング」と命名されました。スペインによって先住民は全滅していたためフランスは黒人奴隷を導入、サトウキビやコーヒーを栽培させました。つまり「人」も「作物」も完全に入れ替わったわけです。奴隷は散発的に叛乱を起こしましたが、1791年8月に大規模な叛乱が発生。宗主国フランスは「革命」で忙しく対応が後手後手に回ります。さらにヨーロッパの革命戦争がカリブにも波及、イギリス軍(ジャマイカ)やスペイン軍(サント・ドミンゴ(イスパニョラ島の東半分))も虎視眈々とサン=ドマング侵攻を狙います。そんな情勢で、フランス革命政府から派遣された代表委員は、黒人奴隷を解放して武器を持たせて植民地防衛をすると決断。しかし「武装した解放奴隷」はつまりは「武装した自由人」ですから、その武器をどこに向けるかは本人の自由です。ナポレオンは徹底した人種差別主義者で、奴隷解放令を廃止、黒人弾圧政策を採ったため、「フランスの植民地」であろうとしたサン=ドマングは独立を志向することになってしまいます。結果、1804年に独立宣言が発せられ、カリブ初の独立国家が誕生しました。1805年に憲法制定。そこで「国民は肌の色に関わりなく『黒人』と呼ばれる」と規定されました。黒人やムラート(混血)だけではなくて全人口の1%足らずの白人もすべて「黒人」となったわけです。なお「ハイチ」とは、絶滅させられた先住民タイノ・アラワク族のことばで「山の多い土地」という意味だそうです。
 重要な植民地のサン=ドマングを失ったフランスは政策を変更、「ヨーロッパ全体」を自分の“植民地"としようとし、それに失敗すると1830年代からはその矛先をアフリカに向けます。サン=ドマングは18〜19世紀の世界を動かす「要石」だったのです。
 その「ハイチ」は最近は「この国は生き延びることができるのだろうか?」と危惧される状態です。環境破壊、政情不安、経済の停滞、インフラの未整備、ハリケーンなどで繰り返される大被害……この“諸悪の根源"を著者は「モノカルチャー(プランテーション経済の名残)」と「賠償金(フランスに独立を承認してもらうために支払ったとんでもない巨額のお金)」に求めています。お金を払ってまでフランスに承認を求めなければならなかったのは「黒人の国家」を南北アメリカの諸国がこぞって拒絶したことによります。特にUSAは奴隷制の国でしたから、ハイチを承認することは「内政問題」でもあったのです。だからこそハイチの「黒人」は金を払ってでも「国」になりたかったわけ。
 フランスにしてもアメリカにしても「革命(独立)」「個人の尊厳」「抑圧の拒絶」を口にはしますが、それはあくまで「自分(特に白人)」に限定だったんですね。


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