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2018年05月10日06:38

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徴兵令に対する反発

 明治政府の徴兵令に対して、武士は「百姓の方が兵士として優秀だとでも言うのか」と反発しましたし、庶民は「武器を持って戦うなんて、そんなのごめんだ」と反発していました。だったら武士と庶民が手を組んで「徴兵令反対」運動を起こせば良かったのにね。

【ただいま読書中】『武器を捨てよ!(下)』ベルタ・フォン・ズットナー 著、 ズットナー研究会 訳、 新日本出版会、2011年、2200円(税別)
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 デンマークに対して同盟を組んだオーストリアとプロイセンですが、この両者の間がきな臭くなります。お互いの主張は同じです。「相手が戦争を望んでいる。自分はそれに対して防衛をするだけだ」。両者とも真実を述べているのなら、戦争は起きないはずです。どちらも自分からは侵略をしないのですから。しかし……
 戦争が始まります。マルタの父は、戦争を賛美しその利点を数え上げます。戦場に行ったマルタの夫はその実相を手紙に書いて送ってきます。マルタはその「賛美」と「実相」の落差の激しさに衝撃を受け続けます。そして、消息が絶えた夫を心配するあまり、マルタは戦場に駆けつけることにします。包帯と化粧道具の入ったバッグを持って。この「化粧道具」は「文明人のシンボル」です。しかし戦争は「野蛮への逆行」です。マルタはそのことを、戦場に放置された負傷兵と死体の山の間で痛感することになります。マルタは従軍看護婦になるつもりでしたが、戦場のあまりの悲惨さに(上流階級の淑女にふさわしく)気絶を繰り返すばかりで、まったく役に立つことはできませんでした。
 ついに停戦条約が発効、「野蛮な敵」が進駐してきますが、マルタが実際に出会ったのは「礼儀正しいプロイセンの貴族たち」でした。城は平和と幸福に包まれます。ただしそれは一時的なものでした。次にマルタたちを襲ったのは、コレラでした。コレラも戦争がもたらしたもので、戦争を生き延びた人たちの命を次々奪っていきました。
 マルタと夫のフリードリヒは「戦争を肯定し賛美する人」の主張に耳を傾けます。肯定するにしても否定するにしても、相手の主張をとことん理解しなければきちんとした反応はできませんから。軍人、牧師、政治家などは夫妻の前で持論を展開します。それを二人は“研究"するのでした。
 これは二人が富裕な貴族階級だからこそできる“贅沢"です。生活に追われていたらこんな学究生活は難しいですから。二人はパリに移り、戦争をやめさせる具体的な行動をナポレオン三世に対して行おうと考えます。しかし、普仏戦争が。
 マルタ(とフリードリヒ)は提案します。「武器を捨てよ」と。政府間の争いは、各政府の代表によって構成される国際仲裁裁判所で裁くように。武力ではなくて法を機能させるように。それは、文明国の内部では普通に行われている行為です。それがなぜ国同士では難しいのでしょう? 本書の最後に恐ろしい疑問が登場します。「私たちは、本当に文明国の国民なのか? 野蛮な戦争を愛するとは、まだ野蛮人のままではないのか?」と。私にはこの疑問に即答することができません。
 そういえば、マルタの一族は、意見はバラバラで顔を合わせれば論争が常に起きていますが、でも平和に暮らしています。戦争と平和の問題は「意見が違うこと」ではなさそうです。


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