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2018年05月03日13:24

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もはや戦後ではない

 1956年(昭和31年)に経済企画庁は経済白書に「もはや戦後ではない」と宣言をしました。
 しかし、「占領軍」がいる状況は「戦後」ではなくて「戦争中」です(実際にドイツ軍に占領されたフランスなどはずっと抵抗(つまり戦争)を継続していました)。「日本との平和条約」が締結されることによって「日本と連合国との戦争状態」が公式に終結したのは1951年、つまりそこまでは休戦状態出会って、1951年から「戦後」はやっとスタートしたわけです。しかし「占領軍」は「米軍」と名前を変えただけで治外法権状態にある日本の基地で駐屯(占領、監視)を続けていました。そんな状態で「もはや戦後ではない」と言えるとは、大した度胸だと私には思えます。「戦争」というものに対する認識が甘すぎるのでは?

【ただいま読書中】『古都の占領 ──生活史から見る京都 1945-1952』西川祐子 著、 平凡社、2017年、3800円(税別)
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 敗戦時に7歳で京都に住んでいた著者は、自分自身の記憶だけに頼るのではなくて、多くの人にインタビューすることで集合的な記憶を整理構築し、戦後の京都について描き出そうとしました。
 1945年9月25日「進駐軍」が続々と京都に入ります。外出禁止令が出され、人びとは家の二階などからこわごわ兵隊の列を眺めました。連合国軍の中核は米軍の第6軍でしたが、彼らは前年にレイテで京都出身者を中心とした日本陸軍第16師団と死闘を繰り広げていました。進駐軍の最初の任務は武装解除。やがて彼らは第8軍に交代しますが、それに従って任務は日本の民主化へと変わり、日本人が見る軍人は武官から文官に変わっていきました。
 京都府庁には「間接統治」のために、「府庁」「京都軍政部」「終戦連絡京都事務局」が同居していました。この3つの組織が残した膨大な公文書を並べて読み解くことで、著者は「間接統治」の実態を垣間見ます。「五大改革(女性解放、労働組合の結成、教育改革、農地改革、経済の民主化)」についての指令とそれに対する日本の反応は、一つ一つが京都に大騒動を起こしています。
 46年に、京都御苑を将校宿舎建設のために接収する、と軍政部が通告します。日本側は猛反対、代替として植物園を提供することで話をまとめました。ただその頃の御苑は一般市民が出入り自由となっていて、土地の多くは家庭菜園になっていたそうです。
 米軍兵士は様々な事件も起こしました。しかし被害者はその被害を自分で立証しなければ見舞金を受け取れませんでした。もっともその見舞金は米軍ではなくて日本政府が出すのですが。ただしその見舞金交付要領には性犯罪の項目はないそうです。殺人、強盗、ひき逃げなどが本書に紹介されています。興味深いのは、著者が作成した「米軍による京都府での爆撃地点」と「占領軍による交通事故の発生地点」の地図がほぼ重なることです。日本軍にとって重要だった場所は米軍から見ても攻撃するにしても占拠するにしても重要な場所で、そこを車両が多く走れば事故も増える、ということだったのかもしれません。
 闇屋、買い出し、経済警察などは当時の庶民にとってはおなじみの言葉でした。闇市は、建物の強制疎開跡に出現していました。民主主義にとっては「自由」「平等」「友愛」が重要なタームでしたが、経済の世界では少なくとも「自由」はすでに実現していたようです。
 「駅の子」と呼ばれた浮浪児たち、「街娼」と呼ばれた女性たち、彼らは自分の何かを生きるための別の何かと交換しながら生きていました。以前読んだ『浮浪児1945- ──戦争が生んだ子供たち』(石井光太、新潮社)や『戦災孤児 ──駅の子たちの戦後史(シリーズ戦争孤児(1))』(本庄豊 編、汐文社)に有名な上野以外にも戦災孤児がいて駅に集まったことが書かれていましたが、これを「戦後の混乱」の一言で片付けて良いのかどうか、私は疑問です。だってまだ「戦後」ではなくて「戦争中(休戦中)」なのですから、為政者には「責任」がありませんか?
 「武官による占領」→「文官による民主化」の次は「動乱期」です。朝鮮戦争が始まる前から、京都の人びとは「進駐軍が動き始めた」ことを感じていました。そして開戦と同時に、軍はフル稼働を始めます。この1950年、京都では大きな火事が続きました。金閣寺炎上、松竹映画下賀茂撮影所の火災、京都駅駅舎の焼失です。京都はざわざわしています。
 占領軍がいる限り戦争は終わっていないのだったら、沖縄では「戦争」は終わっているのでしょうか? いや、基地があり政府はアメリカの言いなりの状態である日本自体、「戦後」にきちんとなっているのでしょうか?


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