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2017年10月08日07:54

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“自衛”隊

 「文民統制」を明記するから憲法改正は安心、と自民党が主張しているそうです。だけどどうせ「解釈変更」でどうとでもなる、というのが腹の底の主張でしょ?
 私自身は自衛隊は名前の通り「自衛専門の軍隊」として、スイスのように国境の内側だけで活動する(ただし例外は国連からの要請で国連軍に参加する場合だけ)としたらよい、と考えていますが、今の自民党のやり方では不審と不信を抱くだけなんですよねえ。これって自衛隊のためにも日本のためにもならないのではないか、と私には思えます。そのうち腐った政治家から自衛隊を守るための組織が必要になったりして。

【ただいま読書中】『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』エルネスト・チェ・ゲバラ 著、 棚橋加奈江 訳、 現代企画室、2004年、2200円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4773897155/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4773897155&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=8095d0bd9120f7e1f56e1575151e4303
 チェ・ゲバラは友人のアルベルト・グラナードと1951年12月アルゼンチンのブエノス・アイレスを出発、チリ、ペルー、コロンビアを経由して7月にベネズエラのカラカスに到着しました。本書はその日記を著者が物語風に書き改めたものです。旅立ったとき著者は医学生(あと1年で卒業、というところだそうです)。しかし、なぜブラジルを丸々避けたんでしょうねえ。「スペイン語が通じるところ」を選んだのか、あるいは当時は大西洋岸にはまともな道路がなかったのかな?
 友人と二人乗りでおんぼろバイクに乗っての旅ですが、テントや簡易ベッドまで積んでいるのですから、どう考えても過重積載。路面は悪い上に運転は上手とは言えないようで、やたらと転倒しまくっています。だからバイクは故障続き。それでアンデス山脈を越えてあわよくば北米まで行こうというのですから、これは大冒険です。
 二人の大好物はマテ茶と(アルゼンチンの)アサード(焼き肉料理)。いかにも若者らしく、悪ふざけをしながら二人は、行き当たりばったりに、親切な人の家や森番の小屋や診療所や憲兵隊などに宿を借ります。
 チリに入ると、二人は「アルゼンチンのハンセン病専門医がオートバイで南米の旅」と新聞に大々的に紹介されてしまいます。ほらを吹くにも限度というものがあるでしょうに。おかげでチリでは歓待を受けることになるのですが。しかしついにオートバイは回復不能なまでのダメージを受け、「(おんぼろ)モーターサイクルの二人組」は「モーターサイクルなしの二人組」になってしまいます。さて、ここからはなんとか無銭旅行をしなければなりません。基本は徒歩かヒッチハイクです。二人は銅鉱山での労働者の悲惨な状態を知ります。さらに二人は「世界でもっとも乾燥した砂漠」であるチュキカマタに徒歩で踏み込みます。無茶そのものの行為で、乾燥ミイラになる前に親切な車でのヒッチハイクに成功。もしここで二人が死んでいたら、世界の歴史は変わっていました。
 著者がチリで目撃した、庶民の暮らしぶりや医療水準は、アルゼンチンに比較したらずいぶん貧しいものでした。そのことに著者は驚きますが、しかし他の国はもっと悲惨な状況だったのです。アルゼンチンは当時は「ペロンの素晴らしい国」でした。
 ペルーではインディオがひどい目に遭っていました。そのことに、柔らかい口調ですが、著者は抗議をしています。
 あまりの貧乏旅行のため、二人は「食事をたかるテクニック」を洗練させていきます。しかしそれをあっけらかんと明るい口調で明かしてくれるので、なんだか漫才の脚本でも読んでいるような気分になってしまいます。それにおごった方もたぶんいやな気持ちにはなっていないはずです。
 旅の疲れのせいか、著者は喘息発作に悩まされます。また、行く先々でハンセン病患者の療養所に立ち寄ります。当時ハンセン病は「不治の感染症」として恐れられていたはずですが、著者らは平気だったんですね。
 本書は「若気の至り」の記録ですが、「あのゲバラ」がこんな青春時代を過ごしていた、というのは驚きでした。柔軟でみずみずしい感性を持った青年が、革命の闘士になったのには、ここからさらに別の物語が必要そうです。


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