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2017年05月04日07:51

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草むしりによる人のタイプ分類

 集団で草むしりをすると、人間がいくつかのタイプに分類できることに気づきます。
「手を動かす/口を動かす」「すでにむしった草の量に注目する/まだ残っている草の量に注目する」「自分の疲れを意識する/他の人たちの疲れを意識する」。人は様々です。

【ただいま読書中】『縄文時代史』勅使河原彰 著、 新泉社、2016年、2800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4787716050/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4787716050&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=dc58a9730b74fda7ed806eb78b6cf4d4
 最終氷期(我々から見て最後の氷河期。ヨーロッパではヴュルム氷期)は約7万年前に始まり、2万5000年前に最寒冷期を迎えました。年間平均気温は今より7〜8度低かったのです。そこから短い周期で気温は変動しながら上昇してきましたが、最終氷期の末期に「寒の戻り」(ヨーロッパでは新ドリアス期)がありました。地上で氷床が発達し、それに伴って海面は低下します。140m低下した、という説もあるそうですが、本書では120mは確実に低下していただろう、と述べられています。すると、浅い(100m程度の)海峡は全部陸橋になってしまいます。間宮海峡・宗谷海峡・対馬海峡は陸橋となり、津軽海峡と朝鮮海峡は河程度の幅になっていました。その時期に「旧石器時代」は始まります。そして、土器が出現するようになったら「縄文時代」です。
 縄文時代が始まった頃、日本列島ではドングリが大量に採集できました。計算上はドングリだけで縄文人の年間必要カロリーの半分をまかなうことができるそうです。ただドングリを利用するためには、あく抜きと調理のための道具と技術が必要です。それが「土器」と「製粉技術」。また「海進(温暖化による海面上昇)」で環境が激変し、縄文人はそれに適応する必要もありました。具体的には漁撈の道具と技術の発展です。
 「縄文」を代表するものは、縄文土器と弓矢です。地味ですが、打製石斧にも著者は注目しています。縄文人の生活をその前の時代と画するのは「定住」ですが、打製石斧は穴を掘るのに大活躍していて定住生活の必需品だったのです。カゴ類(西日本は木本植物やツル植物、東日本は竹や笹製)が豊富なのも「定住」生活だからです。
 定住地の周囲には、建築材や燃料を入手するために、常に人の手が入ります。そのため二次林的な環境が形成され、そこではワラビ・ゼンマイなどの有用植物が生育しやすくなります。また、周囲がクリ林で占められた縄文遺跡も複数あります。これはおそらく人為的に栗を植林したのでしょう。
 女性(と子供の一部)が従事したであろう採集と堅果類の処理により、安定した食糧供給が確保されると、男性は狩猟以外の伐採・建築・器具の製作などにも従事できるようになります。これによって定住生活の安定度がさらに高まります。
 縄文時代にすでに「栽培」は行われていたようです。「縄文時代にすでに農耕が行われていた」という学説もあるそうですが、著者は「狩猟採集の補完としての役割」を果たしていただけ、としています。家庭菜園レベル、ということかな?
 縄文は意外に「豊かな世界」だったようです。ただ「環境に変更は加えるが破壊はしない。持続可能が大前提」であるため、環境が厳しくなったら人口を減らすことでそれに対応する世界でもありました。当然縄文人の「常識」は現代のものとは相当違っていたことでしょう。ただ、「持続可能」がこれからの地球の合い言葉になるのだとしたら、縄文時代の“教訓”はこれからも生きていくのかもしれません。


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