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2016年08月23日06:46

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いのべーしょん

 20世紀に「まねした電器」という言葉がありました。当時ソニーが(たとえばウォークマンのような)それまでになかった新規商品を出すと、松下電器がそれと似たものを大量に市場に投入してシェアを奪う、を繰り返していて、その松下のやり方を揶揄して「まねした」と呼んでいたわけです。
 ソニー(だけではなくてパナソニックもサンヨーもシャープ)もかつての元気を失ってしまったのは残念ですが。
 今、スマートフォンの世界では「iPhoneより大きい」「iPhoneより安い」「iPhoneより使いやすい」製品が市場に溢れています。私はそういった「まねした製品」を見るたびに消費者としてこう思います。「iPhoneを越えた製品」ではなくて「今のスマートフォンを越えた画期的な新しい製品」を提示して欲しいなあ、と。

【ただいま読書中】『幻燈スライドの博物誌 ──プロジェクション・メディアの考古学』土屋紳一・大久保遼・遠藤みゆき 編著、 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 編、青弓社、2015年、2400円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4787273728/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4787273728&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 「幻燈」は英語では「Magic Lantern」と呼ばれます。19世紀の西洋では娯楽だけではなくて宗教から科学までを題材として、大講堂や劇場で大規模な「幻燈会」が開催されました。そこではスクリーンに「一枚の絵(スライド)」を投影することが基本でした。スライドショーと言えばわかりやすそうです。
 幻燈は日本には江戸時代にもたらされ(『蘭学事始』(杉田玄白)に記述があります)、江戸では「写し絵」(上方では「錦影絵」)として独自の発展をしました。場所は寄席で、「風呂」と呼ばれる小型の幻燈機(光源は蝋燭・油皿・石油ランプ)を複数用います。背景を一台が担当、そこに複数の登場人物をそれぞれ別の風呂で投影して「勧進帳」「四谷怪談」などの物語を演じました(小型の幻燈機ですから、手持ちであちこちに移動させることが可能なのです)。「種板(スライド)」には同じ登場人物のさまざまな動作や表情が描かれていてそれを次々切り替えることで「演技」をさせます。
 これって、日本での「アニメーション」の元祖ですか?
 ガラス板の上に小さな絵を描き彩色する技術がすでに江戸時代に存在していたから、明治時代に白黒写真に彩色して「カラー写真」に化けさせることも平気でできたのでしょう。で、それが現在の「アニメーション」にまっすぐつながっている?
 本書には「種板」の写真が豊富に含まれています。また、写し絵を見て楽しむ子供連れなどを描いた錦絵も紹介されています。いやあ、とっても楽しそうな「娯楽」です。テレビや映画を知らない江戸時代の庶民には、ものすごく面白かったに違いありません。これに近い娯楽と言えば、私は「紙芝居」を思います。紙芝居の画面の中で登場人物が動いたりあかんべえをしたりしたら、これは今でも受けそうです。
 なお、明治時代にもまだ寄席では写し絵が演じられていたそうです。ただし、西洋から再渡来した「Magic Lantern」は「幻燈」と呼ばれるようになり、スライドに写真も導入され、劇場や学校でも使われるようになりました。磐梯噴火・明治三陸地震・日清日露戦争などでは、ニュース写真や絵と語り手の組み合わせで「マスコミ」としての機能も果たしています。私が子供の頃にはまだ映画館では本編や予告編の前にニュース映画が流されていましたが、それの御先祖様と言えそうです。
 やがて「運転映画」が登場します。たとえば「世界周遊幻燈映画」(1896年(明治29年))は、横浜港を出発して世界を一周して戻るまでを600枚のスライドで表現したものでした。これ、今の目で見たら(当時のファッションなどが楽しめるなどの)別の楽しみがありそうです。
 日露戦争の頃から「映画」が日本に普及し始めます。ただしそれによって幻燈は即座に滅亡したわけではありません。映画の予告編に幻燈機が活用され、地方都市では幻燈会が盛んに開催されていました。また、小型の幻燈機が家庭に入っていきました。つまり「時代」は、ぱちりと電灯のスイッチを切るようには変わらないのです。
 本書の巻末には「花輪車」が登場します。これは、細かく分割彩色された二枚のガラス板で構成された万華鏡のようなもので、それぞれを逆方向に回転させて投影することで不思議な模様の変化がいつまでも楽しめるものだそうです。万華鏡をのぞき込むのでも楽しいのに、それがスクリーン一杯に展開されたら、全身がスクリーンに没入できて一種の催眠効果のようなものが生じるかもしれません。そこに音楽をかぶせたら、サイケデリックな「映画」と表現しても良さそうです。
 本書には本当に多種多様なスライドが紹介されています。惜しむらくは、すべて「紙面の写真(反射光で見るもの)」で「投影された本来の光の効果」が感じられないこと。博物館に行ったら、「体験」ができるのかな?


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