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日記一覧

比良賀神社の祭文殿は正面に2種類幅、8枚の格子戸が並んでいて美しい(写真左)。中央に木造の賽銭箱が取り付けてあるが、格子戸と同じ材木が使用されており、格子戸と一緒に製作されたものらしい。祭文殿脇に『比良賀神社由緒』の刻まれた黒御影の板碑が設置さ

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比良賀神社の藩塀を迂回すると、10m以内に銅板葺棟入吹放しの拝殿が立ち上がっていた(写真左)。この拝殿からはのっぺりした印象を受けた。よく見ると、懸魚や六葉などの妻飾りは付いているものの、それらの表面に浮き彫りは一切見られず、それは軒下の木部も

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鳴海杻神社(なるみてがしじんじゃ)拝殿前に立つと、鉄製の大きな賽銭箱の前隅に大きな松笠が2コ置かれていた(写真左)。この神社の社内にはGHQから贈られたベイマツがあることが、そのベイマツに取り付けられた案内書で判った(写真中)。その内容が以下だ

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御日塚神社の叉ギ巴瓦を観に行った日は、いつも北上するのに利用している国道41号線から東に位置する御日塚神社に向かったのだが、途中、南向きの石造八幡鳥居のある杜の前を通りかかったので、寄ることにした(写真左)。社号標には「津島社」とある。ここは稲

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羽黒神田の御嶽神社(おんたけじんじゃ)基壇と向かい合った石仏の中に柱状の基壇の上に一体となって刻まれた、見たことのない石仏があった(写真左/中)。基壇には「露苔如幻信女」と刻まれている。その情報も正確な読みも不明だし、この名称と関係があるのかは

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御日塚神社(おひづかじんじゃ)の拝殿越しに奥の本殿を望むと、本殿基壇の正面には石段が付いており、殿内に社のシルエットが見えていた。(写真左)そこに祀られた「ウケモチ(保食)」とは読めない漢字を当てた「保食神」だが、   保食(ウケモチ)神ウケ=豊受

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焼野(やけの)の伊豆神社から稲置街道を辿るために県道27号線で西北野須賀神社の東脇まで戻り、路地に左折して稲置街道へ入り、東へ向かって、70m以内の四つ角を左折し、路地を北へ向かった。西北野須賀神社の西の四つ角で北に向かう現木曽街道と別れた稲置街

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御嶽神社(おんたけじんじゃ)だと思った社が山姥青黄姫龍王社であることが判ると、社前に奉納されている複数のお札の「山姥青黄姫龍王」までが読み取れる墨書きがこの社の名称か神名であることに気付いた。「山姥青黄姫龍王」の本来の読みは情報が見当たらない

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大縣神社 奥宮表参道の雨宮社から参道を北東に向かうと、参道は途中から東北東に進路を変え、5分ほどで参道の右端にある巨石の上に参道と平行して銅板葺流れ造の社が祀られていた(写真左)。必然的に社は西南西を向いていることになる。社を歪んだ板垣が囲んで

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さらに姫の宮 奥宮の表参道を上がって行くと、奥宮の瑞垣前の広場に出た。相澤山山(そうたくさん)の頂き方向には麓の石段の上に祠を納めた銅板葺素木造りの覆い屋(写真左)、その背後、上方にも瑞垣が張ってあり、その上にダイヤ形を立体にしたような神体石(写

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下山の下池を過ぎると、道は平坦になった。下池から東に70m以内で西(大縣神社)・北・南東(本宮山・相澤山・尾張信貴山)に分岐する三叉路に出たが、東南に向かう道の入口には大縣神社奥宮の鳥居があった。石造の伊勢鳥居だ(写真左)。この鳥居前までは北の方か

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大縣神社 摂社姫之宮の左隣には姫之宮の拝殿をスケールダウンしたような銅板葺棟入吹放しの社殿で純白の腰板以外は朱で染められていたが、正面には朱の鳥居が社殿に組み込まれて、その柱は腰板の柱を兼ねていた。(写真左)そして、殿内には石鳥居が床に潜って

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本町の烏杜天神社の入口の石橋を通ると、90度右の北側に対になった石鳥居、石造献灯台があり、その奥に1段上げた土壇上に石造の瑞垣が巡らされ、その中に亀甲に石垣を組んだ基壇が設置され、2棟のサイズの異なる銅板葺素木造の社が祀られていた(写真左)。この

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9月下旬 晴天岩崎山で何度も線刻石をチェックし、窪石の存在に遭遇していると、肝心の男茎形(おわせがた)を祀ったhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1962132654&owner_id=350761田縣神社(たがたじんじゃ)とセットになっている久保山(くぼやま)に窪石と線刻石

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この日の岩崎山 熊野神社参道西側土手の線刻チェックの目標は「七支樹」だったが、その目標の線刻石には直射日光が当っていて、深い線刻しか認識できなかった。やむなく、岩崎山を下って、熊野神社石段の麓からほぼ東400m以内にあるスサノヲ(牡牛神ハル)に向

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金剛山 庚申寺の駐車場の東側、御嶽神社(おんたけじんじゃ)石碑の右隣には予想外のものが祀られていた。神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の石碑だ(写真左)。それにしても材質の石が良く灼けている。役行者(神変大菩薩)は御嶽神社に奉られることがあるのだが、

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岩崎 厳島社から青塚古墳への経路を地図でチェックしていて、http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1962508169&owner_id=350761岩崎山の真北630m以内に「庚申寺(こうしんじ)」の表記があるのを見つけた。すでに庚申寺の先にある青塚古墳まではブログに書いてしま

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岩崎山の線刻探しをしていて、常に気をつけなければならなかったのはマムシやマダニのいる可能性のある背の高い茅の草薮と、平気で1m以上の幅で巣を張る、ジョロウグモの巣だった(写真左)。岩崎山ではジョロウグモも「ハル」である。岩崎山の秋口の名物は植物

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岩崎山 熊野神社の石段の西側の土手に降りた時、ドングリや棘状の鱗片を纏った殻斗(かくと:果実の覆い)があちこちに落ちていることに気付いた(写真左)。(写真左)のもっとも左にあるのが右隣のクヌギの果実の殻斗に相当するもので、小さな方の果実がアベマキ

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岩崎山 熊野神社の石段の西側の土手で「イ」の線刻石に続けて、「イ」と「葉」を持つ線刻石を再度、見つけた。前回、この線刻石を見つけたときは予定外で、この石に見つけた線刻「蛇女神キ」に気を取られ、「イ」は見つけたものの、「葉」の線刻には、まった

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岩崎山 熊野神社の大鳥居(一ノ鳥居)の脇に、どこにも見つからなかった『熊野神社』の由緒書が黒御影石の板碑に刻まれていた。「鎮座地 小牧市大字岩崎字独山1337番地 祭 神 伊邪那岐尊・伊邪那美尊 由 緒  熊野社は海抜60米の田園の中に孤立した、独

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楽田青塚 神明社の社頭を出て、隣の王畔半稲荷大明神に寄った(写真左)。社名の「王畔半」に関する情報が無く、読みすら判らない。ただ、「王畔」に関しては中国のサイトでヒットするのだが、会社名と人名が存在するものの、意味するものは判らない。入口の鳥

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岩崎山線刻石MAPに「○にIII」の線刻が表示されていた。場所は拝殿下の石垣の西側だった。だがそこには、もっと重要な線刻も存在していた(写真左)。線刻石MAPに表示されていた「○にIII」の線刻は、私見では「○に平井筒」の線刻だった(写真中)。まずこの「○

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「イ」の線刻のある3基目の石の西脇の石に岩崎山線刻石MAPには情報の無い線刻があった(写真左)。最初に見つけた時は「目(太陽)」だと思ったのだが、よく見ると、全体的には人為的なものとは思えず、石などの硬いものがぶつかって、中央のギザギザの形は、そこ

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稲置街道146 系譜の線刻
2017年08月30日23:26

カタカナと思われる「イ」と,シュメールの蛇女神キと思われる線刻のある石の西脇に岩崎山線刻石MAPによれば,「イ」と「葉」のある石があるはずだった。その石の線刻はすぐ見つかったのだが,北側からその石の全体像を撮影しようとして、北側に目(太陽)の線

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8月下旬 午前9時、笠寺観音に立つ、六の市に買物に行こうと、愛車を動かすと、風が冷たかった。走ると、もう秋の風だった。秋になって涼しくなったら、もう一度、岩崎山の線刻石をチェックしに行くつもりだったのだが、この日の気温はチャンスだったので、午

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岩崎山 熊野神社の銅板葺棟入の本殿の裏面には五枚岩に匹敵するサイズの巨石があり、本殿を囲う塀は石に合わせてカットされている。おそらく、石をここに持って来たのではなく、この石に合わせて社殿の方が設けられたのだろう。西側には小型の巨石が1コ転が

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岩崎山山頂から熊野神社社頭を観るため、山の麓に降りた。熊野神社社頭には一般道に面して、左右に振り分けられた石段の石垣として巨石が積んであるのだが(写真左)、これらの石が名古屋城築城のために岩崎山から切り出して名古屋城に運んだ石の残石だという。

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岩崎山の森の地表は落ち葉が重なって、埋まっていたが、その中にも多くの巨石が見られた(写真左)。三角点からもっとも近く、すぐ北側に、特別大きな石が2基立ち、その傍らに同じくらいの大きさの石が1コ転がっていた。想像するに、この3コの石は五枚岩ならぬ

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稲置街道137 ノト&クホ
2017年08月21日23:40

岩崎山の山頂下で遭遇したのは能登山 観音寺だった。観音寺は地図を拡大表示しなければ表示されない寺院だったため、その存在に気付いていなかったのだが、現在は曹洞宗寺院となっているものの、ネット上には別宗派から改宗したとする情報がある。南向きの本

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