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2017年09月21日01:33

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稲置街道163 蛇女神キと牡牛神ハル

金剛山 庚申寺の駐車場の東側、御嶽神社(おんたけじんじゃ)石碑の右隣には
予想外のものが祀られていた。
神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の石碑だ(写真左)。

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それにしても材質の石が良く灼けている。
役行者(神変大菩薩)は御嶽神社に奉られることがあるのだが、
隣のやはりよく灼けている御嶽神社石碑と比較して像が大き過ぎ、
同じ塚に祀られていたものとは考えにくく、
こうした大きな岩屋後背を背負った神変大菩薩は
真言宗寺院内の屋外に江戸時代末期に設置されたものが多いのだ。
現在は曹洞宗寺院である庚申寺だが、
「庚申信仰」は天台宗が列島に持ち込んだもので、
この寺院の前身が天台宗であったことは確実と思われるが、
尾張では天台宗寺院が真言宗寺院に改宗した例は複数ある。
側にまだ新しい、般若心経に関わる内容を墨書きした金剛杖が建てられている。
その右隣にもよく灼けた銅板葺素木造りの祠が祀られているのだが、
表札が無く、祭神は不明。
神変大菩の容貌は
眼窩上壁(がんかじょうへき)と頬骨(きょうこつ)の大きく張り出した、
彫りは深いものの弥生系の骨格であり、目も細い一重まぶた。

フォト

ちなみに弥生系は唇を動かさずにウインクできないという説がある。
鼻が柏木由紀系のニンニク鼻で、おちょぼ口。
習字の練習の出来そうな筆のような整った顎髭を伸ばしている。
被っている帽子に特徴があって、これまで、見たことの無いスタイルのものだ。
肩も超なで肩の弥生系。
顔を別にすれば、北朝鮮の大陸間弾道ミサイルの先端部とシルエットが似ている。
「イシキ(女神キ)」代表で,元「久保一色村」の庚申寺を訪問した。

9月上旬 晴天
地図上でいくら探しても見当たらなかった
岩崎山 熊野社から隠された可能性のある
牡牛神ハルに対応したスサノヲ(家都美御子大神)を
ネット検索で見つけ、そこへ向かうことにした。
当然のことながら、それは岩崎山の周辺に存在していた。
ついでに、4度目の岩崎山にも寄ることにした。
3度目の岩崎山訪問で撮影した写真に見つけた
七支樹らしき線刻を確認するためだ。

3度目の岩崎山 熊野神社訪問で、初めて、その存在に気付いた
熊野神社大鳥居(一ノ鳥居)から熊野神社脇参道のスロープを愛車で上がり、
参道脇に愛車を停めた。
熊野神社の石段を下り、西側の土手に下りると、
いつも最初に遭遇する巨石があるのだが、
この石に岩崎山5つ目の線刻「イ」を見つけた(写真中/右)。
これは地元民が見つけていたもので、
地元民が見つけていなかった「イ」を含めると5コ目になる。
それにしても、この「イ」は何を意味し、いつ刻まれたものなのだろう。
岩崎山から現在の犬山市まで90mあまりだが、
「犬山」の名称由来は「小野山」からの転訛など複数あるが、
もし、犬山にも「イ」の線刻が存在するなら、
「イの山」からの転訛もありえるなと考えたりした。

肝心の七支樹らしき線刻は石に強い直射日光が当たっていて、
微妙な線刻がほとんど視認できなかった。
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