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日記一覧

本刈谷神社(もとかりやじんじゃ)の西にある拝殿前から脇参道を東に向かうと、山神社(やまのかみしゃ)の石鳥居の右脇に複数の幹の捩れた、南方風の古木が枝葉を広げており、麓に注連縄が巻かれ、六角形に竹垣で囲われていた(写真左)。側に掲示された案内板『ご

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本刈谷神社(もとかりやじんじゃ)拝殿の向拝屋根の軒先を揃えて、右隣(東隣)には神楽殿があった(写真左)。本瓦葺入母屋造棟入白壁の建物だが、舞台に閉め立てられた板戸が水平に舞良子(まいらこ:細木)を通した、まばら舞良戸で、その舞良子がアクセサリーとな

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本刈谷神社(もとかりやじんじゃ)拝殿前の使いの牛は本殿に祀られている菅原道真公に対応したものだが、この日は紅白の化粧綱を首に巻いていた(写真左)。使いの牛に関して日本最古を標榜している『生身天満宮』の公式ウェブサイト(https://www.ikimi.jp)の「天

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本刈谷貝塚(もとかりやかいずか)のある本刈谷神社の社頭は、その拝殿の南南東140mほどの場所にあり、アスファルト舗装された表参道は一般道の車道と兼用になっている。(写真左)「本刈谷神社」と刻まれた社号標が表参道の始まりから5mほど引っ込んだ場所の左手

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本刈谷貝塚(もとかりやじんじゃ)に関して『刈谷市』の公式ウェブサイト(https://www.city.kariya.lg.jp)の「刈谷西部の縄文遺跡 【県指定史跡】 本刈谷貝塚(天王町)」の項には以下のように紹介されている。「縄文時代晩期の貝塚で、本刈谷神社(※もとかりや

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入海神社(いるみじんじゃ)の南南西110m以内にある東浦町 社宮司(おしゃぐちさん)に向かった。「おしゃぐちさん」は正式に地図表記の名称になっていた。社宮司は東西に延びる路地の北側に面していた(写真左)。寺院風の本瓦葺白壁の塀が石垣の上に乗っていて、

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入海神社(いるみじんじゃ)拝殿前左脇のクスノキの西側の銅板葺ブロック塀の前に表参道の方を向けて銅板葺流造の龍神社が祀られていた(写真左)。その龍神社の基壇はコンクリート枠にコンクリート板で蓋がしてあり、おそらく井戸なのだと思われた。社号標には「

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入海神社(いるみじんじゃ)拝殿西脇の境内社群の中で最も拝殿側に設置されていたのが銅板葺素木造の子安社だが、その社号札には祭神として「豊玉媛命」と記されている(写真左)。豊玉媛命は神武天皇の祖母として知られるが、夫は日本神話の山幸彦として知られる

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入海神社(いるみじんじゃ)の夜啼き石(よなきいし)の麓の表参道を西に向かい、最後の石段を上がると、その先は細かな砂利を敷いた土の地面に変わった(写真左)。その参道の途中には通路を妨げるように苔の生した樹種不明の樹木が生えていたり、その樹木を避ける

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改めて、入海貝塚(いりみかいづか)のある入海神社(いりみじんじゃ)の社頭に戻って、入り直した。入海神社は2度目になる。社頭には道路から少し引っ込んだ場所に石造の伊勢鳥居が東南東に向けて設置されている。鳥居の右脇には「入海神社」と刻まれた社号標。

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入海貝塚(いりみかいづか)から出土した縄文土器は使用された胎土(土器を焼くのに適した土)にイネ科の植物の繊維が含まれていることが確認されているという。口縁部が平縁の土器(写真左)は口縁下に1〜3条の水平に並行した、刻み目の入った突帯を巡らせ、その上

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入海貝塚(いりみかいづか)の「貝層(かいそう:写真左)について」。案内板『入海貝塚』にはこう説明されている。「貝層は神社の拝殿・本殿の東方の段丘崖(だんきゅうがい)に沿って、貝層が約10m、ながさ80mに分布しています。 貝の種類はハイガイが約75%、マ

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3月初旬 曇天愛知県知多郡に存在する入海貝塚(いりみかいづか)に向かうことにした。(MAP左)入海貝塚は現場に掲示されている東浦教育委員会製作の案内板『入海貝塚』にはこう紹介されている。「 所在地 東浦町大字緒川字屋敷1区46番地 指定区域 入海神社

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大田町 天尾神社(あまおじんじゃ)の拝殿の左手(西側)に回ると、拝殿の裏面には鮮やかな蜜柑色の格子の窓ガラスを持つ渡殿が高い側の石垣の上で拝殿と本殿を繋いでいる(写真左)。本殿は銅板流造となっている(写真中)。社頭の『由緒』にはこう書かれている。「

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高ノ御前遺跡の南々西280mあまりにある大田町 天尾神社(あまおじんじゃ)に向かうことにした。高ノ御前遺跡の南東側の路地を南に向かい、両側に住宅の建ち並ぶ細い路地を抜け、分岐する急坂に入ると、両側の住宅は増えた。この丘陵の最も高い尾根筋に急な登り

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大田町 王塚古墳跡の南東790mあまりに位置する高ノ御前遺跡に向かった(MAP左)。高ノ御前遺跡に関する情報は少なく、『とうかい市 東海市キッズページ』の公式ウェブサイトのhttp://www.city.tokai.aichi.jp/kids/「東海市の歴史」に以下の文があるのみだ。

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大田町 大宮神社の南東240m以内に位置する大田町 王塚古墳跡に向かった。王塚古墳跡も大宮神社と同じく社頭が県道243号線に面しており、大田川が目の前を流れており、王塚古墳跡は大宮神社の上流に位置している。243号線を辿って、南東に向かうと、左手に素

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大田町 大宮神社の秋葉社の右隣には瓦葺切妻造棟入の社が祀られていた。(写真左)それも後天的に設けられた玉垣が社前に突き出している場所だ。玉垣の外側は駐車場のようだ。ガラス格子越しに社内を見てみると役行者木像が祀られていた。しかも役行者の足元の

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大田町 大宮神社の境内社御嶽社(おんたけしゃ)の右隣には銅板葺流造の社が祀られていた(写真左)。この社は大宮神社の境内社としては唯一、瑞垣の巡らされた河原石を組んだ土壇上に設置されており、格式の高い社だと思われた。表札を確認すると「八剱宮」とな

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大田町 大宮神社の大田の大樟の前には「楠王大龍神」と刻まれた社号標が設置され、大樟の幹には太い注連縄が張られていた(写真左)。気づくと、幹の室内に銅板葺素木造の社が祀られていた(写真中)。『東海市観光』の公式ウェブサイト(https://www.tokaikanko.

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大田町 大宮神社社頭の石段を降りて表参道を15mほど進むと石造八幡鳥居が設置されており、そのすぐ奥には縁石が設けられ、内部に砂利を敷き詰めた参道に変わった(写真左)。その参道の奥、60mあまり先にニノ鳥居があるのが見える。一ノ鳥居のすぐ奥右手に枯れ

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荒尾町 八柱神社(やつはしらじんじゃ)から南々西1.4kmあまりに位置する大田町 大宮神社に向かうことにした。マイナーな道を辿って大宮神社境内の西側にある山車蔵前に愛車を駐めた。社頭を見るために社地の南側にある社頭に向かって表参道を辿った。社頭に

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荒尾町 八柱神社(やつはしらじんじゃ)の境内から西側を眺望すると荒尾町の西側に面した東海町を見下ろすことができた(写真左)。すぐ眼下には荒尾町の住宅街。そのすぐ向こうを隔てるように左右(南北)に森が帯状に延びており、その森の帯の向こう側に東海町が

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堂ノ前貝塚跡の南々西1.7kmあまりに位置している荒尾町 八柱神社(やつはしらじんじゃ)に向かった。社地の南東に位置している駐車場に入り、脇から表参道に入り、まずは社頭を見に行った。南西向きの社頭には東西に幹線道路ではないが、幅8m近い舗装道路が通

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共栄町 神明社の南東300mあまりに位置していた共栄遺跡に向かった。『大府市』公式ウェブサイト(https://www.city.obu.aichi.jp)の「共栄遺跡」の項には、以下のように紹介されている。《遺跡の概要》遺跡の種類 散布地   時代 旧石器  所在地 大府

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共栄町 神明社の表参道と並行して東側に南北に延びる土手に上がって行く石段を登って行くと、最上段に同じ規格の瓦葺切り妻造棟入の社が並んで祀られていた。向かって左側の社内には素木造の祠が収められ、表札には「山神社(やまのかみしゃ)」右側の社内には

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