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日記一覧

下街道62 カニとワニ
2016年04月26日00:23

朝宮町 朝宮神社の藩塀を迂回すると、目の前に鉄筋造の拝殿立ち上がっていたが、正面の扉と窓枠、それに扁額は旧拝殿から流用されたらしく、木枠にガラス板をはめた造りになっていた(写真左)。境内には由緒『朝宮神社』が岡崎御影の板碑として掲示されていた

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勝川新町の勝川天神社から北東1kあまりの場所に山神社があるので向かった。玉垣で囲われた社地は北東に向かう路地に面しているので、入口は南東を向いているのだが、鳥居は奥にある本殿と入口の中間に東向きに設置されている(写真左)。境内には細かな砂利が敷

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味美(あじよし)春日山古墳は史跡指定を受けることもなく、公園にされてしまったようで、Wikipediaの「味美春日山古墳」の項(下記)くらいにしか情報が見当たらないい。「主軸は北西50°で、墳長約74メートル、後円部径約38メートル、高さ約6メートル、前方部幅

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味美(あじよし)春日山古墳前方部墳頂の西端に祀られた御嶽神社(おんたけじんじゃ)の向かって右端(北端)にこれまで御嶽神社では見たことの無い堂が奉られていた(写真左)。銅板葺素木造棟入の堂で、正面は観音開きの格子戸になっている。賽銭箱は焼物の壷だ。側

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南東の広場から味美(あじよし)春日山古墳の噴頂に延びる坂道を上って行き、ほぼ上り切ると、通路の右側(北側)に「春日山古墳」と刻まれた石標が立てられていた。噴頂は石標より少し上がって行った場所にあり、味美春日山古墳の頂きは標高9.6mほどで、白山神社

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御旅所古墳の麓の石鳥居をくぐって、スピンしている参道を墳上に向かうと、半周もしない内に東側で円形に整地されて開けた墳上に出た(写真左)。広場は砂地だが、おそらく、雨でぬかるまないように、整地した後で、人為的に撒いたものだろう。その広場には、北

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拝殿の北側に廻って、奥に進むと、大きな自然石を組んだ荒々しい石垣の上に銅板葺三社造の祭文殿が設置されていた。名古屋市内の神社で、この祭文殿に匹敵する格式の高い祭文殿は見た記憶が無い。石垣の麓の2基の素木の立て札には墨書きでこうあった。「《白

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周濠に架かった石橋の北側には土台が出ていて、土台の中央を石橋から延びた石畳の枝参道が通り、濠の中にある小島に向かって、細い石橋が架かっていたが、その石橋の手前脇に「厳島社 祭神 市杵島比売命(弁天様)」と墨書きされた素木の社号立て札が立てられ

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下街道52 白山神社古墳
2016年04月14日23:07

二子山古墳の周囲を周回している時、50m以内の北側にも森があって、もしかすると、古墳ではないかと思っていた。ハニワの館を出てその森を見に行くと、南側は柵が巡らされているので、柵に沿って西に廻ると、常夜灯の立ち並ぶ東西に延びる参道の途中に出た。

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味美二子山古墳(あじよしふたこやまこふん)のスケールは下記、比較図を見ると一目瞭然だ。愛知県最大の古墳、断夫山古墳(だんぷざんこふん)の被葬者は尾張氏の首長・尾張連草香(おわりのむらじ くさか)か、その娘の目子媛(めのこひめ)だとする説が強いのだが

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『二子山古墳』の案内書にはこうあった。「国指定史跡 5世紀末、あるいは6世紀初頭における、当地方の豪族を葬った前方後円墳で、周濠を含めた全長は116m、墳丘長は95m、高さは前方部・後円部ともに8mである。 付近には[白山神社古墳][御旅所(おたびじょ

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3月の上旬勝川天神社の西70m以内を南北に延びる国道19号線を北に向かい、新地蔵川を越えると、二つ目の交差点が勝川3丁目交差点なのだが、この交差点の北側で旧下街道(したかいどう)を探して右往左往し、勝川3丁目交差点に戻ろうとしていると、交差点の直前に

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下街道(したかいどう)の辻に面した未新田の天王社脇から西に向かった。天王社の西北西1.1km以内にある庄内用水元杁樋門(もといりひもん)を見るためだ。樋門とは水が逆流しないように設ける水門のことだが、庄内用水元杁樋門は文字通り、庄内川から庄内用水に

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間黒神社(まぐろじんじゃ)の西側に面した路地を北上し、曲がりくねった路地を辿り、310mあまりで北東を向いた近年、築造されたと思われる山門前に出た。門前の旧い寺号標には「曹洞宗 常雲寺」と刻まれている。山門の一直線上の奥に本堂が覗いている。社頭に

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