以前日記にした曾祖父の魚好きの話が気になって、『魚の文化史』という最近出た本を繙いて見た。期待はずれな内容であったが、山国のみならず魚が多くの日本人にとってはめったに口にできないものであったことは確認できた。海に囲まれた島国に住んでいるから
かつて海は島々の生活を「世界」から隔て守る役割を果たした。島々の生活が無事平穏であったわけではないし、むしろ天災の脅威はより大きかったのだが、外来者による征服のリスクを減じてくれたことは日本列島に限らない。しかし、技術の進歩により海が防護壁
私は一応政治を勉強していることになっているが、実はあまり投票に行ったことはない。海外に住んでいたこともあるが、何度か投票する機会があっても、ほぼ棄権で通した。その理由は、万年与党の自民党に任せておいても、まあ大きな間違いはないと考えていたか
あるコミュで、自分の尊敬する先生、この人から多くのことを学んだという先生は誰かというトピが立って、作家だとか思想家だとか芸術家だとかスポーツ選手などの名前が並んでいる。これは面白いと、私の先生は誰か考えてみた。でも、しばらく考えてみたのだが
■教科書の文章、理解できる? 中高生の読解力がピンチ(朝日新聞デジタル - 11月07日 07:27)http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4847631私は右右脳なので、論理的な思考が苦手なようである。そのせいか、正しい答えが一つしかない
耶蘇教の国は愛の文化、日本は恋の文化、なんていい加減なことを思っていたけれども、よく考えてみると、愛を語ることについてはワレワレ日本人も人後に落ちない。ただ、その対象が国とか会社とか学校とか抽象的なものであることが多い。普通、友愛というのは
組織犯罪防止法(いわゆる共謀罪ってやつ)が話題になっていたころ、どうしても解せないことがあった。ご承知の通り、この法案は小泉内閣のときからの自民党の悲願(?)であり、与党多数を背景に審議を打ち切って強引に成立させた曰く付きの法律である。わか
先日、あるコミュで政治の問題について多くの人々に意見を求める機会があった。面白いやりとりができて有意義だったのだが、ちょっと面食らうこともあった。オマエの話はあまりに学問的でない、悪質なデマと変わらんではないか、というお咎めを一部の先輩方か
村田のベルト獲得もめでたいが具志堅さんの弟子の比嘉大悟の初防衛も負けずにうれしい。(拳四郎もな!)思い切りのいい踏込と強打が、師匠の現役時代を彷彿とさせる。ボクサーにも理詰めでいくタイプと感性でいくタイプがいるらしい。前者は解説者になっても
結果は自民の圧勝だったけれども、一か月足らずの選挙戦で、これだけの浮き沈みがあったわけで、無風選挙を望んだ自民党の思惑通りでもなかった。自民圧勝を許した「戦犯」は誰かというと、やっぱり小池さんなんだろうけど、これも結果論であって、民進候補を
私の母方の曾祖父は三春の旧家の次男である。母の家は代々男子に恵まれない家系で、婿に取られたのだが、この曾祖父が無類の魚好きであったらしい。山育ちなので、魚を口にするのは一年のうちでも盆や正月など限られた機会しかない。子供の頃からそれを楽しみ
総選挙に絡んで、あちこちでまた「保守」やら「リベラル」やらというラベルが飛び交っている。なかには噴飯ものの用法もなくもないが、イデオロギーが終焉したはずの現代に、人々が再び自分のイデオロギーを意識するようになっているわけで、ただ笑い飛ばして
最近に限った話ではないかもしれないが、障碍者やお年寄りなどの面倒をみるはずの施設における虐待事件のニュースが目に付く。しかも、表に出てくるのは氷山の一角である可能性が高い。一部の不適格者による権限の濫用とするには問題の根はもう少し深いようだ
およそ大学で教えられるだけの学問には妙な権威がまとわりつくが、我々の生活にあまり役立つ気配のないものがたくさんある。今では政治思想をやっている私も、昔は政治経済学なんてものを学んでいたことがある。その縁で、また国際政治経済学というものにかか
私の身内の嗅覚が鈍って病院に通いはじめた。年をとると目も耳も弱るけど、鼻もまた老いるものらしい。数年前からどうもにおわないなと思ってはいたのだが、視覚や聴覚の異常と違って日常生活に大きな支障はない。そもそも、視覚や聴覚と違って、失っているこ
期待する人もあまりいないせいか話題になることも少なくなったが、日本の長期の経済停滞を打破すべく打ち出されたアベノミクス。思ったほどの効果が出ていないのであるが、その理由がよくわかっていない。お金の価値はとことん下がって、持っていることで損を
1.考える前に体を動かす。2.どうしても考えずにはおられないときは考える。だけど、ひとりでしんどい時は、誰かに話を聴いてもらう。3.考えるのに疲れたら考えるのをしばらくやめる。考えすぎて動けなくならないための三原則。自分で実践しているとは言
神を敬う者がその寵愛を受け、神の道に背く者に罰を与える。信仰厚い者に対する侮辱は神に対する冒瀆であり、彼個人の復讐はそのまま天誅である。ホメロスの『オデュッセイア』の意味を短く述べるとこういうことか。エライ人(=神々に愛された人々)の
森友学園や日本会議との関係に限らず、安倍首相とその周辺にはある種の神道観が付きまとう。しかもそれが独立した宗教観といったものではなくて、歴史観や憲法改正論、皇室をめぐる議論などと直結するひとまとまりのイデオロギーの一部をなしている。ありてい
大分前の話だが、以前の日記で紹介した西田幾多郎の哲学は、一言でいうと「無」の思想ということになるらしい。無の思想というのは、西洋の考え方である「有」の思想に対する東洋、もしくは日本特有の考え方の標識としても受け入れられつつある。やっぱり一神
グローバル人材を育てる教育とは。そんなことを考える機会があったのだが、どうにもよい知恵が出てこない。文科省が旗を振って、グローバル教育を看板に掲げる大学なども増えているのだが、流行り言葉を無暗に並べて納得させようとするものが多くて、その背後