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日記一覧

冬休み中だが、自分の知らないところでまたナウシカが話題になってるらしいから、便乗してむかし書いた文章を再掲してみる。ムシばかりの世界を人はどう生きるべきか(ナウシカ的人間環境論) https://note.com/telemachus/n/n64fbd012e070

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何が人類をして哲学とか科学などという事業に乗り出させしめたか。細かい知識を詰め込む前に、まずは子どもたちにそういう話をしてやった方がよかないか。まちがいないということだけしか言わない教育はあまりに無味乾燥じゃないか。空を見上げて思ったこと

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生命というのは考えれば考えるほど不思議な現象なんである。プライモーディアル・スープ /てれまこしhttps://note.com/telemachus/n/n8544d517edc7

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新しいマガジン。正統思想たる「リベラル革新」が痛んだブランドになるにつれて、かつてはイケてないものであった「保守」が復権しています。しかし、自分が学んだ保守思想は一般に日本で「保守」と呼ばれるようなものとはほとんど似てもにつかぬものです。「

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自分は誰にも依存してないと自負する人が自己責任論を唱える。自己肯定と社会の利益が一致するから無理もない。だけどそこで何か大事なことが見落とされてないか。自分で責任とらない人々の自己責任論 /てれまこしhttps://note.com/telemachus/n/n9d9f17ea37

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政治がお上に対して何か要求することで終わるのであれば、主権者教育などというものは特に必要ない。政治の客体ではなく当事者としての意識を養うのであれば講義を聴かせるだけでは足りない。ご近所民主主義https://note.com/telemachus/n/na0e2f6d03621

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井原西鶴の『武家義理物語』を読むと、洋装の自分になかにもまだこんなものに動かされる心がある。義理人情がどれほど「日本的なもの」であるかは疑問であるが、今のぼくらに無関係じゃないことだけは確かだ。義理チョコばかりが義理でない(日本的ヒューマニ

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若い頃に比べて、自分は新しいことを発見することが増えている。毎日のように発見がある。しかもその場かぎりで終わらない発見。「発見力」などというものがあるとして、いったい何がこれを高めるのか考えてみた。 発見する力をいかに養うか /てれまこしhttp

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保守主義というと自由主義や社会主義と比較して傍流の思想であった。特に若い人には人気がなかった。それが近年保守思想が復権しつつある。再評価が進んでいる。なぜ今保守思想なのか。保守思想の復権/てれまこしhttps://note.com/telemachus/n/n13c244509ac

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西洋化した日本ではあるが、まだ東洋的なところもある。先進国である日本にも途上国のような貧困や格差の問題がある。あちらとこちら、今と昔が同居してる。エジプトのサムライ/てれまこしhttps://note.com/telemachus/n/nc5bb3534acbc

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理性にだけ従って生きてこそ人間であると思ってる人、科学だけが人類を救うことができると信じて疑わない人。口ではそういう人たちこそが、実はコロンブスの卵を立てられない人たちではないか。君は卵の立て方を知っているか /てれまこしhttps://note.com/te

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新しいマガジン。人間案外自分のこと知らない。勝手にこうだと思い込んでる。世界の「田舎者」だった日本人も欧米を鏡にして自分たちを知ろうとしてきたけど、まだまだ田舎臭いところがある。そこで、さらによく自分を知るために、自分が「ああ、ぼくら日本人

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日々新しいものが生み出される時代に、ぼくらは絶望的に退屈してる。今日の喜びは明日には陳腐になってる。これが際限なく繰り返されるのが歴史なのか。人はなぜ生きることに飽きなかったのかな /てれまこしhttps://note.com/telemachus/n/ne77e0d3bc418

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自由を愛する思想家というと文弱なインテリが想像されるようになったが、かつて自由思想が「男らしい」と形容された時代があった。女性差別だ怪しからんというだけではもったいない意味がそこに含まれてる。男らしく朗らかな思想(自由について)/てれまこし

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ヒトもかつては生きるために働く動物の仲間であった。それがどういうわけか働くために生きるようになった。そしてその矛盾に気付いてさえいない。 なぜ人間だけがあくせく働かないとならないか https://note.com/telemachus/n/ncb76cf252f6b

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新しいマガジン「あなたとわたしとコミュニケーション」。ありのままの自分でいるってどういうこと?わたしがわたしでいるためにあなたとは一緒にいれないの?そんな問いやあんな問いについて考えてみた記事たちです。 あなたとわたしとコミュニケーション /

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日本において「教養」を求めることの悲喜こもごも。心にもお金にも余裕のない人たちの教養 https://note.com/telemachus/n/ndb30e6cc18da

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トランプ氏のような民主的な手続きを尊重しない人が民主的に人民に選ばれるようになってる。ポピュリズムは人民の知性の問題なのか。リベラル知識人自身が問題の一部になってないか。 二つのアメリカ(トランプ現象がリベラルに突きつけたもの) https://note

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「ネトウヨ」というのは他人がつけた蔑称だから使いにくい。でも、かなり同質的な文化を共有する一群の人びとがいる。何か呼び名がないと不便。それに望まぬ名にせよ名付けられたが故に、えらく強大な力を与えられてる。 君の名は(名付けることによりぼくら

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かつては読んで覚えることが学問であった。文字の神性が失われた今日では読むだけじゃ足りない。文字の外の世界を経験して書かないと学問にならない。その上で古典に帰ってはじめて古典が理解できる。 「すでに書かれたもの」から「まだ書かれてないもの」へ

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今さら白状するまでもないが、自分は今日の優等生リベラル諸君にちと反発を覚えている。あまりに傲慢ではないかと思うところがある。「ヤンキー」たちの代弁をしてやりたくなることがある。それは自分の自由観と関係がある。 自由の原体験(ぼくの) https://

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日本人は批判が苦手。そう他人を責める人でもやっぱり批判がうまくない。なんでなのかと考えると、そもそも「批判」という言葉の意味の理解が中途半端なんじゃないかと思うんだな。そこから批判的になれてない。 批判的日本人って形容矛盾なの?https://note.

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自分の経験を自分の言葉で語れない人が増えたとき、人は自分を代弁してくれる者を求める。そのとき民主主義はどうなるか。 文字禍(国語が国民を分断する?) https://note.com/telemachus/n/n3492e7428000

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主権者教育というものにひとつ歴史意識というものを含めたいと自分なんかは思ってる。歴史を教えるために歴史を教えるんでない。歴史を学ぶ理由を教えるために教えるんである。 「勝つ馬」に乗ることと「勝った馬」に乗ることのちがい https://note.com/telem

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日本人のウラとオモテ
2020年10月29日23:12

裏地に凝るのが日本的なお洒落。外見が派手な世界のヤンキー文化とは対照的。この裏地文化を通してみると、日本的自我というものの特徴が見えてくる? 日本人のウラとオモテ https://note.com/telemachus/n/nd64e5571b295

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わけもわからず人は泣くことがある。しかし泣く以上は何かを想って泣いているはず。理性だけではなく感情も総動員して何かを直観的に掴んでいる。すべての理屈はそれからだ。 わけもなく泣くという経験 https://note.com/telemachus/n/n38f647ac349a

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日本人でなければ日本文化の「深み」を知ることはできない。そう信じてた人にとってはルース・ベネディクトの『菊と刀』は衝撃であった。だが日本を知らない人類学者がなぜ日本人をそこまで解剖できたのか。 『菊と刀』とアンソロポロジー(人類学者に日本人

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政治的民主化は「エリート」と「民衆」の区別を完全には撤廃しなかった。そして今またエリート主義的な考えが復権しつつある。ぼくらはまだ民主的な文化を知らない。何が足らんのか。日常という巨象https://note.com/telemachus/n/ne024bb1e3674

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最近の学生は「法は守るべき」に止まって、「なぜそんな法があるのか」とか「法とは何か」まで考える人は少ない。どこかの大学の先生がそうツイートしてた。自分は前からこれに気づいていたが、古くて新しい問題なのだと最近思うようになった。 怨まれて怖い

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どこかで見た風景
2020年10月19日11:10

ムスリムというと日本人には遠い存在のように感じられるが、自分が知り合ったムスリムたちは、やはり自分たちと同じような希望や悩みを抱える人たちであった。どこかでみた風景https://note.com/telemachus/n/nd51c1a0c3022

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