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2015年12月09日15:06

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何のための紐であつたか・・・

何のための紐であつたか垂れ下りとりあへず今朝蜘蛛が巣を張る   小笠原和幸

「俳句王国」(NHK・BS2)を見ていると、番組冒頭の句会メンバーの自己紹介の時に「俳句をやっていてとても楽しい」というふうに言う方が多いように感じる。ああ、俳句ってそういうものなんだなあと改めて思う。「短歌をやっていて楽しい」というのは、あり得ないことではないけれども、仲間ができるだのなんだのいうような付随的な楽しさにとどまるのではないか。“短歌そのものが楽しい”という感想は、マイナーなものなのではないかと思う。いつぞやラジオで荒川洋治さんが言っていたが、平均寿命の長い方から順に並べると、俳人、歌人、詩人となるのだそうで、これはそれぞれの表現領域の特質と大いに関係があるのではないか、とのことであった。私もいづれはきれいに枯れてしまって俳句へ抜けたいものだ(この台詞を今までに何回言っただろう)と思いつつ、いや、この調子では短歌に殉ずるほかはないのかも知れぬ、とも思い始めている。

されば小笠原和幸である。短歌とはひとがこの世に生きることそれ自体に苦しみのたうちまわりつつ魂の嘔吐のようにして詠むものなのだ、ということをあまりにも強烈に印象づける歌人である。したがって、異端人のようにも見えながら、実は短歌の本質の本質を体現している歌人だとも言える。私は、幸か不幸か小笠原の作品のような歌に“同病者”の存在を見出し、ある意味ではそれに癒されるようなかたちで短歌に親しみ始めたのだった。こういう者がいづれは俳句へ…などと言ってみても、言葉通りにはならぬのが世の慣いというものだろう。

この一首、「何のための紐であつたか」とわざわざ言ってみせてはいるが、どうしたってそれは首を吊るために懸けた紐だろう。途中までは本気で自死を思っていたかも知れない。しかし、垂れた紐にウッと向き合っているうちに次第にボルテージは下がり、ばかばかしくなってしまったか眠気が勝ってしまったか、なんともみっともない話だが、そのようにして今となっては用在不明の純粋な“紐自体”がたら〜りと下がっていて、一夜明ければ蜘蛛の巣まで張られているというのである。なんとはなしにうすら可笑しい。そして、この一片の諧謔によって、作者も読者もかろうじて救われる。だが、場合によってはこのかろうじての救いが途方もない光明のように思われることもあるのだ。

この一首は、小笠原の歌集『テネシーワルツ』に収められている作品である。この歌集には《ひとたびは真白き喉を掻つ切つてみたかつたらう鎌も蒼古と》《光芒サヘ屈折スル夏死ヲ思フ者ニ妄リニ声ヲカケルナ》などという歌も載っている。

ちなみに、最近見かけた花山多佳子さんの一首に、《ビニールの細ひも垣根にかかりをりまだ〈縄跳びの縄〉と呼ぶもの》というのがあった(「歌壇」2007年6月号)。これは縄跳びの縄の用在性が薄れつつ“純粋ひも”へ向かう途中の光景だが、私は一読して小笠原の紐の一首を想起したのであった。ただし花山はのたうちまわって歌を詠むようなひとではないから、諧謔という救いなどというものは必要とされてはいない。日常の光景の中に生起した一点の哲学的発見の新鮮さだけが、そこには存在している。前回、NHK全国短歌大会の作品を一首紹介したが、あの大会の暗黙の選歌コードからすれば、花山のような作品は採られるだろうが、小笠原のような作品が採られることはまずないだろう。

[付記]「短歌人」2015年12月号に、入野早代子さん、小笠原和幸さん、宮田長洋さんが、わたくしの歌集『アルゴン』の書評を寄せてくださいました。ありがとうございました。小笠原さんの歌をかつて紹介したことがあった…と思って、同人誌「みづな」のバックナンバーを見ていましたら、上記の文章がありましたので転載いたしました。初出は「みづな」22号(2007年7月)です。この初出の拙文では、この後、《棒切れをくはへて戻り尾を振りて犬として犬を在る犬がゐる》(香川ヒサ)《曲りあれば木を伝う雨片側のみ選びて濡らす いじめをおもう》(斎藤賢悦)の2首を紹介し、最後に「もし私が現在いじめられている真っ只中にいるのだとしたら、そして何がお前を救うかと問われたなら、この斎藤賢悦ではなく、香川ヒサでもなく、小笠原和幸の歌に一票入れるだろう」と記しています。


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