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日記一覧

2003年8月、ながらみ書房刊。守音さん逝きて手許に一葉の暑中見舞ひと『風ノカミ』とが    庭野摩里夏の会に渡された著書『風ノカミ』感想送らず四年が過ぎぬ    岡田悠束以上2首、「短歌人」2011年1月号より。僕も岡田さんと同様に、『風

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「やるじゃネーカ!」
2010年11月23日06:55

昨日に引き続いて1987年の「短歌人」より。当時、「テレックス(社外寄稿)」という小コラムがあって、他の結社の方が「短歌人」を読んでの感想を書いていたようだ。これがなかなかおもしろい(などと言って読み始めるので見直しが進まないのですが・・・・)

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23年前の東京歌会
2010年11月22日09:11

いつぞやこの日記に記したように、小中英之さんの全歌集作成のための作業の一端を手伝っている。今、その助っ人の担当部分は終りに近づいていて、他の方が入力したものを、元の稿と照らし合わせながら、入力ミスがないかどうか、元の稿の文字と入力されたパソ

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2010年10月、砂子屋書房刊。僕の本棚に並んでいる「短歌人」誌は2007年1月号からなのだが、その2007年の7月号に川井さんの高瀬賞受賞作品「六月輪唱」が掲載されている。受賞のことばに、「夢中で詠んだ後一歩ひいてみますと、歌は鈍刀、直球

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【コメント】おもしろいことを言う教育学者が現れたものだ、というのが最初の感想だった。こんな話に熱中する教育学の議論は、僕の知る限り、里見実のイニシエーション論(初出はなつかしの『教育労働研究』、のちに柴田・竹内・為本編『教育学を学ぶ』)以来

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【要旨のつづき】学校という教育の場は、「発達としての教育」と「生成としての教育」がせめぎ合う場である。しかるに、従来の教育学はもっぱら「発達」視点だった。例えばヘレン・ケラーが「水」という語を学んだことの重要性は繰り返し説かれて来たが、その

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【要旨のつづき】賢治の擬人法は文学上の手法にとどまらず、他者としての自然との新たな関係を作り出す生の技法でもあった。従来の「発達としての教育」は近代の労働(目的−手段系の連鎖)をモデルとしており、したがってそこには最終的な目的はなくすべては

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【要旨のつづき】登校拒否やいじめなどの「教育問題」に対する従来の教育学のスタンスは、医学的な問題解決モデルを立てるものであって、直線的因果で病状を提示できない限り役に立たない。そのスタンスの背後には、誕生から死までの生の全体を見通す全能の作

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【要旨のつづき】漱石の「こころ」の「先生」は、純粋贈与者としての「最初の先生」であった。ただし、彼はソクラテス(のような古代の先生たち)とは異なって、いったん共同体外へ出たわけではなく、弟子としての「私」の過剰さ(「真面目」さ)によって純粋

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東京大学出版会、2008年2月刊。サブタイトルは「漱石、賢治と純粋贈与のレッスン」。矢野は、従来の、特に戦後日本で主流をなしてきた教育学は、要するに一国(彼の言葉で言えば「共同体」)内での「世俗」的な文化や秩序の再生産としての教育だけを見て

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以下、2010年10月号より(全身で落ちくる滝を抱きしめたき)衝動はわれにもありてこの夏    木曽陽子・・・・歌で(  )を乱用するのはあまり好きではないが、この歌はおもしろい。いきなり(  )である。(  )がなくてもそのまま成り立つが、(

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小中英之と秩父困民党
2010年10月09日17:17

先日(2010.10.1)のこの欄に「国民」というタイトルで書いた記事にて、小中英之の次の歌を引いた。西日射す国電に坐しくやしくも死までをひとりの国民として角川「短歌」1968年9月号に掲載された「明暗」20首の3首目である。どうしてこんな

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「国民」
2010年10月01日05:55

はじめに、拙文の訂正について記しておきます。短歌研究の評論賞に応募した拙文(「虫と鳥の出会う場所」)で、野樹かずみさんの作品を引いたくだりにて、作者の野樹さんを在日朝鮮人と記しましたが、これは事実とは違っていました。訂正いたします。拙文を(

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今夜は中秋の名月。いまのところ、ウチのベランダからはきれいなお月さまが見えているが、お天気は下り坂という予報だ。しかし、しぶとかった残暑もようようこれにておしまい、らしい。いやはや途方もなく暑い夏でした。佐々木通代さんの歌集、『蜜蜂の箱』(

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タイトルに(その2)と付しましたが、(その1)にあたる記事は、2009年5月10日です。あの時はNHK短歌の加藤選の歌でした。で、今日の日経歌壇、穂村弘選2首目・・・「自然な笑顔の証明写真一枚を同封してください」と    杉田菜穂穂村さんの

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永井陽子さんを偲ぶ歌以外の歌群から、印象に残った加藤さんの歌を何首かご紹介しておきたい。いづれも、何かしらの“発見”の歌である。くくられて〈鬼〉と呼ばれて人界を追われしものにふる石つぶて・・・・歌集冒頭の「『それからのないた赤おに』より」の一連

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2010年7月、砂子屋書房刊。どこまでもさくらあかりの細道を異界の人にひかれて歩む「さくらあかり」という歌集タイトルのゆえんの一連中の一首。この歌の前には《曇りたる窓に指もて書く名前この世の人にあらぬがにじむ》という歌もある。加藤隆枝さんに

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大辻隆弘さんの講演
2010年08月03日05:53

7月31日〜8月1日の週末2日間、名古屋で開催された短歌人夏季全国歌会に参加しました。31日の夕刻に大辻隆弘さんの講演「戦後アララギについて−柴生田稔を中心に−」がありました。もし別様にタイトルを付けるとすれば、「歌人と戦争責任−柴生田稔と

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ちょこっと訂正
2010年06月22日07:49

5月24日のこの欄(「小中英之を読む会拾遺」)で、小中英之さんの幼時のエピソードとして、「幼き日の小中さんが鳥の巣から卵をとろうとしたらアイヌの少年にきつく叱られて・・・」と書いたくだりがありました。「読む会」の時に高澤志帆さんが小中さんの

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小中英之を読む会拾遺
2010年05月24日07:42

昨日まで4回に分けて小中英之さんの歌について記しましたが、18日の「小中英之を読む」の会からかれこれ1週間になります。1週間前の月曜日(17日)のお昼すぎぐらいに、現代短歌文庫『小中英之歌集』末尾の「解説」のパートに収められている何人かの方

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「往反の法」というエッセイで、小中さんは「私の歌をふりかえってみると、ほとんどの歌が死の意識につつまれている」と言い、例として5首を挙げている。その5首目は、『わがからんどりえ』の中の名歌と言われる歌だ。身辺をととのへゆかな春なれば手紙ひと

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やすらかにやがて死は来よざりがにの雌雄の音がさりさり聞こゆわが死後の骨(こつ)の壺かもひとへなる椿あかきをたつぷりと挿す菖蒲湯に死の日までなる精神を縒りてこゑなく歎きはふかむ今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅上記4首の1

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裟婆苦にも間(かん)あるごとく雪の下咲くをはつかに美(は)しと眺めむ汀橋すぎて舟倉までの間(かん)かげ濃くわれの幼年期顕つ『翼鏡』の中で小中さんが「間」と書いて「かん」とふりがなを付けるのは、《螢田てふ・・・》の歌の他に、例えば上記の歌のよ

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小中英之さん(1937−2001)の歌集はタイトルからして難しい。第1歌集『わがからんどりえ』(1979)の「からんどりえ」は、フランス語で「カレンダー」だそうだ。第2歌集は『翼鏡』(1981)という。初め、「翼」も「鏡」も美しい字なので、

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歌を「書く」?
2010年05月04日08:10

最近、歌会の場や、テレビの「NHK短歌」「NHK俳句」「俳句王国」などで、気になる言葉がある。それは、かなり多くの方が歌(あるいは句)を「書く」と言われることだ。「この歌の上の句の書き方はいいと思いますが、下の句のここのところをこういうふう

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マルティン・ブーバー
2010年04月29日06:09

世界は人間にとっては、人間の二重の態度に応じて二重である。人間の態度は、人間が語り得る根元語(Grundwort)が二つであることに応じて二重である。この根元語とは、単一語ではなくて対偶語(Wortpaar)である。根元語のうちのひとつは対偶語・〈我〉−〈

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瀬田川&石山寺
2010年04月27日06:11

24日−25日、短歌人新人会の吟行合宿で、琵琶湖近くの石山寺を拝観し、近くの宿に1泊しました。参加者27名。歌会をやるにはちょっと多すぎる人数かなあ、とも思いましたが、ベテランの司会者お二人の名進行で、言い足りないという感を残さずに時間通り

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昔のワープロ専用機時代のフロッピーに入っているものの中で、パソコン用に保存すべきものは今のうちに保存しておこう、というような作業を始めたら、以下の稿が残っていたのを見つけました。やや長いシロモノですが、そのまま再掲します。僕が短歌について最

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月のある海は夜にも仄(ほの)青く岬の櫻見に行かむとす誰(たれ)知らぬところに暮らすよろこびは丘の邊の道どこまでも行くことばより早く生(お)ひ立つ草の海(み)に思はずも溺れ犬と遭難す夜道にはしるべとならむ貝殻を梢に吊るす岬への道青田風吹きのま

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佐々木靖子歌集『流連』
2010年04月17日08:27

1992年、砂子屋書房刊。佐々木靖子さんは、過日(2009.9.13)のこの欄で『地上』をご紹介した時にもふれたが、現在の酒井佑子さんである。タイトルの「流連」は初めて聞く言葉だったが、「遊郭などに居続けて、家に帰るのを忘れること」(新明解

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