今年中に行きたい、今年最後の美術館訪問として行きたい、、、体調にお伺いを立てながら、夫が同伴、心強い。新宿からりんかい線でゆく。天王洲アイルには大昔銀河劇場に「が〜まるちょば」のライブを見に行ったきり(日記があった。懐かしい!→
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1407095688&owner_id=2083345)、どんなところかも忘れていたし、おそらくうんと変わったと思う。
途中にPIGMETという画材屋さんがあった。見るだけでも楽しそうで、入りたい気持ちはヤマヤマだが、余分な体力はない、先を急ぐ。(それにしても、最近のおしゃれな建物はみな隈研吾だな)
人気の超写実絵画の中でも、死にゆく肉体とその時間経緯に正面から向き合わせて観る者に衝撃を与え、さらにそこに深く潜む意味を考えさせるという面では群を抜いていて、諏訪敦氏は私が大好きな現代美術家の一人だ。2年前の府中市美術館での大規模個展↓でますます注目、待ちに待った今回の展覧会である。
【 諏訪敦 眼窩裏の火事】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984323873&owner_id=2083345
ヌードと頭蓋骨を組み合わせた初期作品のシリーズ「どうせなにもみえない」や、亡き人々を遺族からの依頼で描いた肖像画、諏訪自身の家族を見つめたシリーズ「farther」「棄民」等これまでに発表されたシリーズの作品と、昨年亡くなった母親を描いたシリーズ「mother」や静物画など、未発表作品も含めて、最新作《汀にて》を中心に、そこに至るまでの画業の変遷を辿ることができた。
そこには、「どうせ何も見えない(=どんなに表面をなぞっても本質には届かない)」という写実の虚構性を、亡くなった人の肖像を描く過程で、残された人たちの記憶のなかにいる姿をとらえるために膨大な取材をし、習作を重ねることで答えを出していく姿がある。
また、「コロナ禍以降人間を描きたいという気持ちを失ってしまった」諏訪氏が、母親の臨終を描いて再び人間を描くようになるのだが、その絵は「人物画でも、静物画でもない、汀(みぎわ)にある絵、と言えるかもしれない」「死の床の母を静物のように描いた自分はちゃんと悲しむことができない、…」と述べているのも大変興味深い。
画家のさがは非情のようだが、私は諏訪氏が葛藤と共に描き上げた絵はとても「やさしい」ものに感じた。
本展のために描き下ろしたという静物画群は「食物穀物起源神話」を源としているそうだ。「食物穀物起源起源神話」は、排泄物から食物などを生み出す神を殺すことで食物の種が生まれたとする神話。
「ある集団が生き残るために神を殺し、その原罪を分け合って食べるという神話の構造に倣うことで、私たちは他者の喪失を共有できるかもしれない」と諏訪氏は述べる。
生と死をずっとテーマにしてきた諏訪氏の静物画に、強く感銘を受けたのはそのせいなのだろう。
そして最新作《汀にて》をどう見るか…一人の画家の画業変遷を同時並走できるのは、難しくも楽しかった。
展覧会は、セクションごとのキャプションや画家の言葉が掲げられているが、作品ごとの解説はスマホで音声ガイドを聴く形になっている。夫のスマホは老衰臨死状態だし、私はイヤホンを持っていないので諦め。旧作に関しては、府中市美で見ていたので作品解説はなくても大丈夫だった。
行った時は静かに観覧する人が数人だけだったが、帰る間際に多くの人が入場、キュレーターのトークイベントが2時半から始まった。また、駅に向かう道では諏訪氏本人とすれ違い、ちょっとびっくり。3時半からサイン会があるらしかった。
写真撮影は、3章「横たえる」(亡くなった人の肖像を描いた作品群21点)が不可だったが、それ以外はOK。最後に、制作風景とインタビューの短編ドキュメンタリーが上映されている。
「建築倉庫」と併せて観覧できるチケットもあるが、私は当展覧会のみ観覧。
運河沿いにあるWHAT CAFEは休館日だった。残念。
アルバムあります
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121395310&owner_id=2083345
https://what.warehouseofart.org/exhibitions/suwa-atsushi/
現代日本の絵画におけるリアリズムを牽引する画家、諏訪敦。卓越した描画技術で対象に肉薄する諏訪の作品は、徹底した取材に裏付けられ、近年では戦争で亡くなった人々や、神話や古典文学の登場人物など、不可視な存在を描くリサーチプロジェクト型の絵画制作が高く評価されています。本展は、最新の大型絵画「汀にて」を中心に、そこに至るまでの画家のクロニクルを、過去の主な作品群とともに物語っていきます。
コロナ禍にはじまったアトリエでの内省と孤立、戦争や災害で揺らぐ外界をよそに、母を介護し看取るまでの静かな日々の中で、「人間を描きたいという気持ちを徐々に失っていった」と語る諏訪。本展は、稀代の肖像画家が再び人間を描けるようになるまでの克服の過程を開示するドキュメンタリーであり、精緻な眼と指を持つ故に「見ること、描くこと」を己に厳しく問い続けてきた諏訪の、現在進行形の思索と創造を紹介する展覧会です。
SPACE 1 どうせなにもみえない
《どうせなにもみえない ver.1》2005年
《美しいだけの国》2015-2016年
《不在》2015年
府中市美でも拝見。確か高橋由一の油彩《豆腐》をみて、日本人が描く西洋絵画について考えたとあった。
《目の中の火事》2020年
こちらも府中市美で。画面中央に輝く光点は「閃輝暗点」といって、モチーフを凝視しキャンバスを熟視し目を酷使すると、血流異常によってこうした視覚像が引き起こされると説明があった。諏訪氏に絵にたびたび現れる。
《Untitled》2007年
ただ、キリンの首に飛び散る光はまた別のものだろう。生と死のはざまで露出した魂のようなものだろうか。
SPACE 2 前室 なかだつ人
《成山昭光立像》2011年
諏訪氏と「一蓮托生」だという成田画廊のオーナー
SPACE 2 喪失を描く
この章のみ撮影不可。亡くなった人を描いているから。絵画を通して死後の人と出会う、「どうせなにもみえない」の表明への応答。
戦場ジャーナリストの《佐藤和孝(四十歳代の佐藤和孝)》と《山本美香》に再び出会えて感動。この2点の作品については、府中市美の展覧会で仔細に説明しているので、再度読んでいただけたら幸いです。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984323873&owner_id=2083345
《点滴を携えて美術館に訪れた男性(岡田林太郎像)》2022年
鉛筆のドローイング。「絵をみる人 2023.12.23 府中市美術館にて」の文字入り。車椅子に乗り、ニット帽を深く被り、点滴をした男性の横顔。目は鋭く、真剣な眼差し。
とても印象的な絵だったので、「岡田林太郎」という人を調べてみたら、みずき書林という一人だけの出版社を立ち上げた元編集者で、ブログ、日記をまとめた「憶えている――40代でがんになったひとり出版社の1908日」という本が没後上梓されている。2023年7月3日永眠。しかし、これは死者を描いたものでなく、生きる今を描いた優しい作品だ。
《正しいものは美しい》2017-2018年
夭折した息子を描いて欲しいと両親から依頼を受けた諏訪氏は、「遺影を模写しても依頼の切実さには届かない、残された家族のために徹底的に〈美しい絵〉を描きたい」と綿密な取材と習作を重ねた。その一つが作品《身長165cm体重50gの上半身》で、故人と全く同じ体格の人から採った石膏像である。
絵にしろ写真にしろリアリズムは時に残酷になる。しかし、諏訪氏のリアリズムの優しさを思う。
《emptiness》2024年
横たわる若い女性。体に薄いシーツがまとわりつき、美しい肉体と一体化している。長い髪もまた体に沿うように乱れ流れ、目は虚ろ。諏訪氏の絵によくみられる「映像が乱れた時のような横線」がところどころ入り、その上にトーン違いの鮮やかな青の絵具がのる。死を強く感じさせる作品だ。
この絵は、実在した女性を描いたものだろうか、それとも虚構?ちょっと調べたら、永靖文庫所蔵《長谷雄草紙》をモチーフに製作されたという。《長谷雄草子》は以前全編を永靖文庫の展示で見たことがある。美女の死体から良いパーツを集めて鬼が作った絶世の美女、期限を待たずに触れてしまったら、水になって流れたというあの話だよね?(
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986334042&owner_id=2083345)
SPACE 3 横たえる
《薔薇図》2024年
満蒙開拓団にいて戦後逃避行中にハルビンで亡くなった祖母の足跡を追った「棄民」シリーズについては、府中市美の日記を見ていただきたい。(何度もすみません)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984323873&owner_id=2083345
本展では以下の2点を紹介。
《HARBIN1945WINTER(Esquisse)》2015-2016年
こちらは下絵で、府中市美で見た本画では、髪が短く切られていたっけ。敵兵の辱めを受けないように女は男装したのであった。諏訪氏は絵の中で祖母の髪を着る時が一番辛かったと、その時述べていたのを覚えている。
《依代》2017年
府中市美の日記の時は画像が載せられなかったので。
《father/点滴》1996/2025年
《mother/23 DEC 2024 死者はいつも似ている》2024年
父の臨死も母の看取りも描いている諏訪氏。息子にとって男親と女親は何かが違う。
《mother/22 DEC 2024》2024年
細い文字で書かれた「母さん 死なないで 2024 12 22 16:35~17:15」
《mother/7 DEC 2024》2024年
病院でサインさせられる同意書や要望書は多い。仕方がないことだがやりきれなさを感じたことを思い出す。作品には、そうした書類が貼り付けられ塗り込まれていた。
SPACE 4 語り出さない
展示室の中央に置かれた医療用ステンレス製ワゴンには、静物画のモチーフが並べられていた。普通の静物画のモチーフとは異なる、ちょっとドキッとするようなもの。そのモチーフを描いた絵を1点1点見ていくと、それは前述した前章までの死から「食物穀物起源神話」再生の物語に移っていくことを感じる。
《家蚕図》2025年
《土師器に小石丸が盛って在る》2024-2025年
《むべなるかな》2024-2025年
《Pato muerto》1995年
《東西の酒器と洋梨》2025年
付箋で貼られていたものが気になり、帰宅後調べてみた。聖書だ。
コリント人への第一の手紙10章25節「すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食るがよい」
《H型イーゼル》2024-2025年
HALL 5 汀にて
そして、入り口で見た《汀にて》に戻る。
大型絵画、立体、ドローイング6点からなる。「九相図」に倣ったものとしているらしいが、さて、どう見たらいいのか。
立体は、骨格標本に諏訪氏が石膏と外壁充填材で肉付けして作ったものだそうだ。
私が気になったのは、随分と前のめりになって歩きどそうとしていること。しかも支柱は目に突き刺さっている。前のめりになっているのは、人類の進化過程にあるからなのか、それとも年老いた人間だからかだろうか、そんな余分なことも考えてしまった。
諏訪氏は現在58歳、次の個展でその答えが出てくるのかもしれない。追いかけていきたい作家である。
アルバムあります
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121395310&owner_id=2083345
3月1日まで
ログインしてコメントを確認・投稿する