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2023年02月06日13:34

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2/4 諏訪敦 眼窩裏の火事@府中市美術館

超写実絵画が好きになったのは、2011年に練美で磯江毅展を見て以来。
超写実絵画は、写真のようにリアルでありながら、写真では表せない何かを超人的な技量で表現する。すごいと思った。
2016年に念願のホキ美術館訪問。2020年にBunkamuraで「ホキ美術館所蔵展」観覧。
森本草介や生島浩が描く女性像にうっとりした。同じ超写実でも、(当たり前だが)作家によって個性があり、全然違う。
その中で諏訪敦の絵は、お父上臨終の絵がリアルすぎてちょっと怖かった覚えがある。「リアルすぎて」と思ったのは、少し開いた口から黒いシミのようなもの沢山が噴き出していたから。これは目に見えないはず、でも、「その場にいたらそう見えたかもしれないリアルさ」なのだ。
写実とは客観なのか?それとも主観的写実は存在するのか?写真をやっている私はそのことにとても関心がある。

かの江戸絵画シリーズの府中市美術館で諏訪敦展をやると知った時から楽しみにしていた。ぶら美や日曜美術館アートシーンで特集が組まれて、それを見たら、早く行きたくてうずうずした。

土曜日12時ごろ入場。テレビ放映されたから混むかな、と覚悟していたが、まあまあの混み具合にホッとする。夫は「いくら良くても、内容が重すぎてそんなには混まないよ」と言っていたが。

いつものように東府中駅から歩く。府中の森公園。梅がちらほら。
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桜の蕾はまだ硬いが、準備は整っている。江戸絵画祭りも楽しみだ。
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ランチは併設カフェを初めて利用。
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写真撮影は不可。壁面にキャプションがないので、解説付きの作品リストを見ながら観覧。いつもの府中市美術館とは全く違う展示室内で驚く。パーティションも違うし、ガラスケースも全て隠してしまったようだ。スポット照明も素晴らしい。

3部構成になっていて、私は特に【第1章棄民】に、諏訪敦の諏訪敦たる所以を見た気がする。写真もそうだが、写実絵画では描かれた光景は「ある一点の時」でしかない。文章や映像などのように、鑑賞する側にそれに即した時間を与えてくれたなら、そこに至るまでの歴史を辿ることもできるのだが。諏訪氏は絵画作品に「過去の出来事を視覚的に呼び起こす」という不可能事に取り組んできたという。このことを鑑賞者として感じられた時、第2章、第3章も単なる超写実絵画ではないことを確信しながら鑑賞できた。
今年のMy Best 10入り候補!久々に図録が欲しかったが、5000円以上したので断念。きっとこだわりの装丁・印刷なのだろう。

https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/
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緻密で再現性の高い画風で知られる諏訪敦は、しばしば写実絵画のトップランナーと目されてきました。
しかしその作品を紐解いていくと彼は、「実在する対象を、目に映るとおりに写す」という膠着した写実のジャンル性から脱却し、認識の質を問い直す意欲的な取り組みをしていることが解ります。
諏訪は、亡き人の肖像や過去の歴史的な出来事など、不在の対象を描いた経験値が高い画家です。丹念な調査の実践と過剰ともいえる取材量が特徴で、画家としては珍しい制作スタイルといえるでしょう。彼は眼では捉えきれない題材に肉薄し、新たな視覚像として提示しています。
今回の展覧会では、終戦直後の満州で病死した祖母をテーマにしたプロジェクト《棄民》、コロナ禍のなかで取り組んだ静物画の探究、そして絵画制作を通した像主との関係の永続性を示す作品群を紹介します。
それらの作品からは、「視ること、そして現すこと」を問い続け、絵画制作における認識の意味を拡張しようとする画家の姿が立ち上がってきます。



第1章 棄民

《father》
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脳腫瘍に倒れ、ICUで治療を受けている父を描く。諏訪氏は、反抗期がなかったそうで、父親とこれまで真っ直ぐに向き合ったことがなかったとテレビで語っていた。客観的に見守る視線を感じる。

この3年後父親は別の病いで倒れ帰らぬ人となり、私がホキで見た絵を描く。死後口がわずかに開くのは、顎の筋肉が緩むのだと思っていたが、筋肉が縮まって隙間ができるのだそうだ。その黒くて深い闇から黒いシミが噴き出る。
父親のデスマスクの横に、諏訪氏の幼子の水彩画が並ぶ。父から自分、さらには子へと家族のつながりを描く。
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《棄民》
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父の死後、遺された手記から諏訪は父の幼かった時の体験を知る。父は祖父母ら家族と共に終戦直前の1945年春に国策として満州に渡ったのだった。ソ連侵攻に追われ、哈爾浜収容所に留められ、そこで祖母と叔父が栄養失調と発疹チフスで亡くなったという。
この絵は、幼少期の父と彼を抱く若い祖母を西洋肖像画の構図で描いたもの。
モノクロームになっていく祖母の顔と一張羅の着物、皮膚が剥がれ落ちた姿、消えて?消されて?いきそうな肖像画…国策で犠牲になった庶民の悲劇が表されていて胸が詰まる。

諏訪氏は制作にあたって、画家には珍しいほど執拗で膨大な取材をするという。今回も多種多様な資料を集め、証言を聞き、現地に2度も赴いたという。分厚いクリアファイルと遼寧省のホテル葫芦国際飯店の便箋に描かれたデッサンなども展示されていた。

《HARBIN 1945 WINTER》
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奥正面にあるのが、仕上がった(と言っていいのか?)作品である。
荒涼とした雪の平原に打ち捨てられた遺体。極限までやせ細った体にチフスの赤い発疹。痩せて窪んだ股関節や力ない手のひらの上に雪が積もる。寒い大地で衣1枚しか纏っていないのは、生きる他の人を生かすために死者の衣が必要だったからだ。たった1枚残した衣すら風ではだけてしまっている。
足の指を見ると草履を履いていた人の足だ、親指と人差し指の間が離れている。冷たい大地を素足に草履か下駄で逃避行したのか。
髪が男のように短い。聞き及んではいたが、敵兵に見つかって凌辱されないためのカモフラージュだ。テレビで、諏訪が、絵の上はと言え、祖母の髪を切るのは、肉親として耐え難いものがあったと話していた。

手前にあるのは大きなスクリーン。この絵が完成されるまでの過程を映し出している。
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実はこの絵の下にはいくつもの絵が描かれては消されているのだ。まずは、健康な肉体をもつ女性像をこのポーズで描く。そして、この女性像を骨格が浮き出るように痩せ細らせ、発疹チフスを発症させ、死に至らしめる。それはあたかも、絵の中で死を追体験させているよう。辛い作業だったのではないかなぁ、画家の強靭な精神と信念に驚く。
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山田五郎さんがその下図を持っていて、事務所に飾ってあるといっていた。ちょっとびっくり。

《依代》
画像はなかったが、《HARBIN 1945 WINTER》の姿の女性像が美しい若い女性の姿になって描かれていた。体からは、いくつもの綺麗な発光体が出ていて静謐な雰囲気。死という過酷な体験をさせてしまった「モチーフ」の尊厳を取り戻したいと描いたという。私もほっとした。


第2章 静物画について

第1章の紹介に紙面を割いてしまったので、不本意ながら手短に(笑)
暗い展示室で作品だけにスポットライトを当てた演出、絵画自体が発光しているような感覚の中、うっとりため息をつきながら見る。

《目の中の火事》
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画面中央に輝く光点は「閃輝暗点」といって、モチーフを凝視しキャンバスを熟視し目を酷使すると、血流異常によってこうした視覚像が引き起こされるという。これは、現実世界には存在しないものだが、諏訪氏にとってはモチーフのガラス同様の実在感を備えたものであるので、こうして描いているとのことだ。他の作品にもしばしば現れていた。
超写実は超客観的なものであると思ってしまいがちだが、誰もが同じふうに見ているとは言い切れないのだから、極めて主観性が高いものなのかもしれない、と思った。面白い。

《まるさんかくしかく》
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仙�儺想陲料飢茵圈�△□》を翻案したもの。一番左端にあるものは、コロナの検査キットだ。諏訪氏はコロナ禍の中静物画に改めて取り組んだそうだ。

《不在》
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明治初期西洋絵画を日本に取り入れた高橋由一の《豆腐》を意識して描かれたもの。近代日本絵画の展開に対する諏訪氏の皮肉が込められているという。豆腐をモチーフにした絵が3点、なるほど高橋由一へのオマージュ、だけれど、絵画とは?そのものを問うている。


第3章 わたしたちはふたたびであう


最後に肖像画。自身の制作スタイルから彼が得た確信は「描き続ける限り、その人は立ち去ることはない。絵画を経由して対象との再会を果たす」
この言葉は、最後に展示されている舞踏家大野一雄の作品群、とりわけ《Mimesis》に表れている。
スペインの舞踏家ラ・アルヘンチーナ、それに感銘を受けて舞踏を始めた大野一雄、大野を辿る川口隆夫の3人が重なってみえる。
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ただ、第3章で私が一番感銘を受けたのが、ビデオジャーナリストの佐藤和孝の肖像だった。大学時代に諏訪氏は佐藤と出会い、各年代の肖像を描くという約束を結んだという。
世界各地で起こる戦争の実相にせまろうと戦地前線に赴く佐藤の眼差しはものすごく強く厳しい。三十歳代、四十歳代の肖像に続いた五十歳代の佐藤和孝の肖像はパートナー山本美香だった。
《山本美香(五十歳代の佐藤和孝)》
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山本美香は佐藤和孝と共に15年戦場を取材したビデオ・ジャーナリストで、佐藤とは公私共のパートナーだったという。シリア内戦の取材最中に亡くなったこと、それを佐藤がテレビで報じたことをよく覚えている。
少し寂しげで悲しげで、でも凛とした表情の肖像。彼女の瞳の中に大地に立つ佐藤の姿が写っていた。これが佐藤和孝の五十歳代の肖像なのだ。今、彼は六十歳代で、おそらくウクライナで取材をしているのだろう。


重かったけれど、今一押しの展覧会です。

常設展「みること・つくること・さわること」も江戸絵画から現代の作品まで、十分見応えあったので併せてどうぞ。

2月26日まで。
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