FB上の告知で、6月6日から配信開始されていると知り、さっそく、Disney+でアニメ映画『プレデター:最凶頂上決戦』(原題:Predator: Killer of Killers)を観た。前作『プレデター:ザ・プレイ』のダン・トラクテンバーグ監督が手がけたそうで、おのずと期待値が上がる。『プレデター:ザ・プレイ』は傑作だった。大自然に生きるネイティブアメリカンを主人公に、彼らの風習や生き方に対する愛や憧憬さえ感じられた。そのエンディングで続編制作を匂わせていたが、本作を最後まで観ると「あぁ、そういうことか」と納得する仕掛けになっている。
さすが、トラクテンバーグ監督。これまでのプレデターシリーズ全作品を実によく研究している。宇宙最強の戦闘民族プレデターが「手強い獲物=強敵」を求めて、時代を超え、国を超え、戦い続けていることがよくわかる構成には感心した。前作『プレデター:ザ・プレイ』で、知恵と勇気と戦闘スキルでプレデターを追い詰めたネイティブアメリカン「コマンチ族」の女戦士ナルの物語を描いたことで、コマンチ族のような「人類最強の戦士」がプレデターと遭遇したら、どのような死闘を繰り広げるか彼の創作意欲が大いに刺激されたのは想像に難くない。彼が選んだのは、西暦841年のヴァイキングの女戦士ウルサ、1609年の日本の武士と忍者の兄弟、そして、どういうわけか、1941年の米海軍パイロットのジョン・トーレスだった。
第一章は「The SHIELD(盾)」。西暦841年の北欧。父の仇、クリヴィチ族の族長ゾランに復讐するため、ヴァイキングの女族長ウルサはひとり息子アンダースと船団を率い、遠く北欧から海を渡って来た。彼女の武器は全周が鋭利な刃になっている2枚の丸い盾だ。敵の剣や矢を盾で防ぎながら、二枚の盾で敵を斬撃する。その戦闘能力はヴァイキングの誰より秀でている。復讐に燃える彼女が一族の戦士達を率い、仇敵と戦いを繰り広げている様を、姿を消したプレデターが伺っているのだが・・・。
第二章は「The SWORD(剣)」。1609年の日本。城主の父親から、真剣で戦い、勝った者が父親のあとを継ぐと命じられた幼い兄弟。兄は弟との殺し合いを拒否し、刀を納めるが、弟は兄に斬りかかる。戦意に乏しい兄はたちまち、打ち倒され、父親は弟を継承者と決め、兄は城から去る。そして、20年。父の死を知った兄は忍び装束に身を包み、城内に忍び込むが警固の侍達に見つかり、激しい戦いに発展する。その様子を天守閣の屋根の上から見ていたプレデターは姿を消したまま城内に侵入する・・・。
第三章は「The BULETT(弾丸)」。1941年のアメリカ。自動車修理工場主の息子トーレスは車で走行中、突然、エンジンが不調となる。パイロットになって飛行機を操縦する夢をもつ息子に「車のエンジンが修理できないようでは一人前とは言えないな」と救援に来た父親から指摘される。やがて、海軍に招集されたトーレスは念願かなって空母艦載機パイロットになるが、飛行長は彼に整備をさせるばかりでなかなか実戦に参加させてくれない。ある日、正体不明の敵に出撃したF4F戦闘機隊が全滅させられる。重傷のパイロットは「敵はエンジンを狙って来る。あんなのは見たことがない。まるで空飛ぶフックだ!」とうわ言のように訴える。トーレスが大破したF4F戦闘機のエンジンを調べると、得体の知れない鋭利な物体がエンジンを貫き、カウリングから飛び出している。トーレスが作業場で正体を探るうち、その物体は突然、起動し、飛行甲板でアイドリング中の戦闘機のエンジンを貫くと、どこかへ飛び去ってしまった。「これは敵戦闘機以外に、正体不明の何かが空中で味方を狙っている証拠に違いない!」とトーレスは通信室から作戦中の味方機に危険を知らせるように依頼するが、すでに味方機とは連絡がとれない。仕方なく、トーレスは整備中の戦闘機を駆って、味方の戦闘機隊を追うため飛行甲板から発艦していくが、上空では姿を消したプレデターの巨大戦闘機が待ち構えていた・・。
トラクテンバーグが楽しんで制作したことがよくわかる。彼は本作の出来に大満足しているだろう。プレデターシリーズ初のアニメ映画として映画史に名を残したに違いない。
とても、面白いアニメ映画だった。少々、残酷な描写が目立つものの、プレデター愛と同時に、ヴァイキングや日本文化に対する畏敬の念が感じられるところが良い。もちろん、日本人の目から観れば、どこか違和感を覚えないでもないが、「侍と忍者をかっこよく描きたい」という熱意の前に全て許す。
この先、少しだけネタバレします。
第一章(841年)、第二章(1609年)、第三章(1941年)と3つの物語で構成されるオムニバスかと思わせておいて、それぞれの章でプレデターを斃した戦士達を拉致し、プレデター達の本拠地たる宇宙のどこかの惑星で最終決戦をさせようとする後半の展開にはびっくり。プレデターの科学力はなんと「時空を超越」している。さらに、プレデターの族長はそれぞれの時代から拉致して来た三人の地球人を戦わせ、最後にひとり生き残った者(最凶の戦士)と対決しようとするのだが、プレデターの要求に従って、残る二人を殺そうとするヴァイキングのウルサと違い、日本の忍者は「弟と二人で戦って、ようやく一匹を斃せたのだ。我々が団結して戦わない限り、勝機はない」と考えている。映画『プレデターズ』で、「名前のない男」(エイドリアン・ブロディ)がチームワークを無視したせいで、せっかく有能な戦士達がそろっているのに結束できないという愚を犯したのとは、真逆だ。しかし、残念ながら、三人の地球人は言葉が通じない。言葉が通じないまま、なんとか、団結しようと努力する忍者とトーレス達の意図に気づき、ウルサは彼らと協働し戦いはじめる。この後の戦闘描写が素晴らしい。
贅沢を言えば、オムニバス構成にせず、「ヴァイキング対プレデター」「日本の侍・忍者対プレデター」のどちらかの物語を選び、戦いの顛末をもっとじっくり、時間をかけて丁寧に描いてほしかった。オムニバスにしてしまった分、尺が不足し、プレデターとの遭遇から即、戦闘となり、未知の強敵を発見してからの対応や戦術の工夫などを描く余裕が全くなくなっている。これではプレデター映画の重要な要素、醍醐味を放棄したに等しい。未知の強敵と遭遇した人類がその存在に驚愕しつつも相手の弱点を探り、対抗策を講じて、いかにプレデターを斃すか、その過程を描くことこそが最大の魅力だからだ。この点、『プレデター:ザ・プレイ』はネイティブアメリカンの研究者の協力と監修を得て、とても見応えのあるプレデター映画になっていた。ネイティブアメリカンらしい戦いぶりを存分に見せることに成功し、本作とは一線を画している。『プレデター:ザ・プレイ』を観てしまったあとでは、正直なところ本作は「物足りなさを感じる」のも当然だ。できれば、次は『プレデター:ザ・プレイ』に匹敵する時代劇実写版を観てみたい。プレデターと日本刀で戦う日本人(やくざ、侍、忍者)は寡黙で勇敢で、とても神秘的に映る。
ちなみに、『プレデター:最凶頂上決戦』の最後に、コマンチの女戦士ナルが「ああいう形で登場」したことを私は評価しない。一度でもプレデターを斃した地球人はその事実をもって尊敬の対象となり、次からは標的(獲物)から除外されるとした方が「誇り高い戦闘民族」らしい処遇だと思う。ダン・トラクテンバーグ監督の勇み足、もしくは「蛇足」と呼ぶべき失敗だろう。残念だ。
■関連日記
『プレデター』と『プレデター:ザ・プレイ』
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『プレデター:ザ・プレイ』
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『 ザ・プレデター 』
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