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2024年05月18日18:53

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本棚628『小説 こんにちは、母さん』小池水音(講談社文庫)

 山田洋次監督はある時、俳優の宇野重吉からこんな話を聞いたという。絶望の淵にあって死のうと思っていた若き日の宇野が、ふと映画館に入ってフランク・キャプラの『スミス都へ行く』を観る。観終わった後、宇野はまだ死ぬことはない、生きていこうと、この世界は生きるに足るんだと、なんとかなるんだと思って、死ぬのをやめたという。
 命をつなぎとめるだけの力を持つ映画を創ること。それも、肩肘張ったものではなく、くすっとした笑いを交えつつ、少し背中を押すような映画を創ること。北風と太陽なら、太陽のように、かじかんだ心が自然とほぐれていくようなあたたかさが、山田作品には通底しているように思える。

 本作では、大手の自動車会社の人事部長の主人公は、娘の家出、妻との別居、会社の同期の友人のリストラなど多くの難題を抱えている。そうした中、下町の向島で、足袋屋を一人で切り盛りする実家の母を訪れると、母がボランティア活動を通じて知り合った牧師に恋をしていることを知る。

 主人公の苦境が魔法のように消え去ることはないけれど、例えば、母と牧師との次のような会話は、やり直す時期に遅いということはないと教え、前へと進む力を与えてくれる。

「でも、彼はまだ若い。やり直せます」
「そうでしょうか」
「本当に若い。まだ、いくらでもやり直せる。わたしは焦がれるような羨望を込めて、そう言うんですよ。 なるだけ肩の力を抜いて、朗らかに生きた方がいい。お母さんのあなたのようにね」

 とても表現が上手いと思ったのは、母親の失恋の場面だ。ピアノのコンサートに牧師と行った帰り、牧師は故郷の北海道の教会に行くことになったと告げる。母親は着物姿のままで居間の座卓に伏せ、帰ってきた孫娘が居間の灯りを点けようとすると、「そのままにしておいて」と鋭い声で言うところなど、さりげないやり取りの中に母親の心の悲しみがリアルに感じられる。映画では、その後、日暮れの光がどんどんと消え、母親も、庭の花々も闇に溶け込んでいき、この部分だけ演劇の舞台を観ているような心地になった。

 結局、主人公は妻と離婚し、友人を助けて自身は退職をする。起こった事実だけを見ると「不幸」かもしれないが、主人公の顔つきは憑き物が落ちたかのように晴れやかだ。ラストシーン、隅田川の夜空を輝かせ、すべてを昇華するような花火の煌めきは、多くの宇野重吉のような人びとの心に染み入るだろう。

「ねえ、昭夫。 お前は、ここの二階で生まれたんだよ。 暑い日でね。お産婆さん呼んで、母さん汗だらけになって、うんうん唸ってた。 そしたら、花火がドーン、ドーンと上がり始めて、お前がその花火と一緒に生まれたの。 ああ、世界中から祝福されてる。母さんその時、そう思ったんだよ」
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