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2024年05月13日06:08

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映画の基本は“映像で語る”だという当たり前の事実を再確認して欲しい。第82回TOKYO月イチ映画祭に参加して。

コロナ禍で中断していたTOKYO月イチ映画祭が3月に復活し、昨日再開第3回目となりました。4月の例会は5年ぶりの同窓会とぶつかり参加できませんでしたが(とんぼ返りすれば間に合ったのですが、体力的にそれは無理)、グランプリ作品は次月のトップに再上映されるからと安心していました。

先月のグランプリ作品はなんとドキュメンタリー。それもSNSで見知らぬアメリカ人女性からの連絡を受けた木川剛志さんが、その女性の“母を探して”という願いに応えたものでした。「『Yokosuka1953』彼女の、記憶の中の母を探す旅」(写真2)は60分あります。月イチ映画祭で60分の長さを見るのはけっこう大変なのですが、実に見ごたえがありました。

2018年、アメリカに住む女性シャーナさんから木川剛志監督にメッセージが届きます。シャーナの母バーバラさんは日本名を木川洋子といい、1947年に外国人と思われる父と日本人の母の間に生まれた、というのです。SNSで同姓の木川さんを見つけ、もしかして縁者ではないかとの連絡でした。

木川監督は和歌山大学で教鞭をとる傍ら、地域映像や観光プロデュースを専門としているそうです。戦後進駐軍が管理していた日本(occupied Japan)では、アメリカ人兵士たちと日本人女性との間にできた“混血児”が数多く誕生し、バーバラさんはその一人として養子縁組により米国へ渡ったというのです。

そんな母親バーバラさんは、日本人名木川洋子という記憶を頼りに、なんとか母親と再会したいと願っている。そこで木川監督が代わって横須賀を訪ね歩くのでした。実際は107分あるドキュメンタリーだそうですが、今回は60分に再編集したバージョンでした。それも前月上映した作品に手を入れ、テロップなどを加えたと言います。

僕が見たバージョンでも、やはり“長い”と感じました。それはNHKなどの45〜60分のドキュメンタリーを見慣れている僕には、しかたのない“体感”時間でした。ただテレビ・ドキュメンタリーの常識的な手法とは違い、バーバラさんや関係者たちに親身に寄り添う木川監督の気持ちが、生々しく伝わるところに好感が持てたのです。

この映画祭は、AプロとBプロの2つのプログラムがあり、両方見た人間だけがグランプリ選出の投票権を得ます。僕はもちろんその月の全作品を見て投票することを基本としています。しかし、この前月グランプリ作品を見てしまったら、“これを超える作品は難しい”と感じました。そこで採点基準外の前月グランプリ作品に5段階評価の“4”を付け、それを超える作品を期待したわけです。

しかし当然のように、前月グランプリを上回る作品はありませんでしした。こういう自主映画を作る皆さんは、大学などでの卒業制作か、あるいは映像制作の仕事についている方々の映画製作がほとんどです。しかしいつも思うことですが、映像制作を仕事にしている方々が自主映画を作ると、どうしても仕事でやれないことをやってしまう。

つまり自らの世界を構築して思う存分好きな映画を作る訳です。その方法論は間違っていないかも知れないし、そんなアプローチが当然に思えるのでしょうが、ちょっとまってください。普段は作れない映像世界を構築するという前に、そこであなたが作っている映像世界が、作品として成立しているかどうか、もう一度確認してくださいと言いたい。

すでに映像関係で仕事を得ている方にありがちな行動なのですが、自分で作り上げた世界を冷静に作品として成立しているかどうかを見ることなく、こういう映画を作りたいという思いが先行して、それを実現するだけで満足してしまっていませんか? 冷静に観客の立場に立つことなく映画を作っても、それは映画として成立しませんよ。

はっきり言いますが、“あの映画のあの場面をパクった”ということだけ前面に出て、“それが分かるのはこの映画祭だけだ”という考え方は、“間違って”います。観客を“有無を言わさぬ映像”で沈黙させ、溜息をつかせた後で“実は”とトリビアを披露するならともかく、トリビアだけを自慢気に語るのは止めてください。

僕はヤフー掲示板時代から“トリビアとグーフス”を主に取り上げるトピックを作っていました。だから僕は人一倍トリビアが好きです。しかしトリビアがあるからその映画が好きなのではなく、好きな映画だからトリビアを愛するのであって、逆は真ではありません。

たとえば「アラビアのロレンス」で灼熱の太陽がアップになるシーン、あれが実は書割だったということには意味がないのです。あの灼熱の砂漠を感じさせた感動があって、実はカメラを太陽に向けて撮影したらカメラが壊れたために、やむなく書割を使用したというトリビアが生きてくるのです。

それなのに“横溝正史原作映画のパクリで、コマ数まで合わした”などと自慢気に語る映画関係者のなんと多いことか。そんなことより、あなたの映画を冷静に「アラビアのロレンス」と見比べてくださいよ。僕はそういう意味で、「再演」という作品の冒頭、オーディションを受けている女優が踏み出す足の運びを、デビッド・リーンの「ライアンの娘」を思わせると指摘したのです。

セーラ・マイルズが波打ち際に残ったロバート・ミッチャムの足跡を、素足でたどっていくあのシーンを、僕は生涯忘れません。そこにこめられた憧れの人の足跡に自分の素足を置く、そんな情感を忘れたくないのです。映画というものは映像が与えた情感を観客に刻み込むものであって、自己の鬱憤を晴らす場ではないと肝に銘じてください。

3月のグランプリ受賞作だった藤井謙監督の「スタートライン」には、観客の心に響く情感がありました。だから僕はグランプリに推し、実際グランプリを受賞した。僕が不参加だった4月のグランプリ『Yokosuka1953』にも、見ていて登場人物たちの心の動きが伝わる。それが映画の基本なのです。基本を忘れたら、自主映画は草野球でしかない。

ということで、僕は今回の参加全作品に不満でした。それでも、僕が考える映画の実現を目指す方々もたくさんいるはず。そんな作品にめぐり逢いたいので、また来月もこの映画祭に参加したいと考えています。残り少ない人生の貴重な時間を、ぜひ無駄遣いさせないようにお願いします。
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