mixiユーザー(id:6327611)

2024年05月25日03:26

34 view

“こどもを持つ”ということを、こんな形で描いていいのだろうかと疑問です。ジュゼッペ・ボニート監督「こどもたち」(2020)。

僕は基本的に、誰がどのような映画を作ろうが“自由”だと信じています。そして、ある特定の映画に対して、どのような批判を展開しようとこれまた同様の自由が保証されると信じています。駄目な映画を見てしまったら、これまでのところ僕は何も書かずパスしました。今回は、黙って捨て置くわけにはいかないと感じ、僕の印象を述べます。

物語は、小学生の娘を持つ夫婦サラとニコラに2人目の子供が出来たところから始まります。子育てのために仕事を辞めることになった妻のサラ(パオラ・コルテッレージ)は、夫のニコラ(ヴァレリオ・マスタンドレア)が育児や家事を手伝わないとケンカする。でもって、自分の意見が無視されると、窓から身を投げるのでした。

この身投げが冗談らしいのは、すぐに夫婦の話に戻るから分かると言えば分かるのですが、僕にはちっちも面白くない。そもそも、問題の建て方がくだらない上に、ありきたりな口喧嘩をやかましく展開されても、小学生のお姉ちゃんがかわいそうなだけで、まさに犬も食わない夫婦喧嘩にうんざりしてしまうのでした。

つまりサラとニコラの喧嘩が、何一つ親身に響かない。そしてまた、突き放して見て笑っていられるかと言うと、勘弁しろよというシロモノなのです。こんな痴話喧嘩、なんの意味がある? 責任者出てこい!←これをカスハラという言葉で逃げようとする映画制作者には、そもそも映画を作らせないで欲しい、と思います。

この映画は、イタリア映画祭という催しで2021年に上映されたようです。imdbの点数はどうなっているだろうと覗いてみたら、全体としては満点から最低点まで“正常分布曲線”を示しているようですが、各国別に見ると“特色”がありました。サンプル数が少ないから、きちんとしたデータとは言えませんが、僕なら明確に最低点を投じたい。

こういう家庭劇において、僕はもっと子供の立場を考えてほしいと思います。極端なことを言えば、“親は子を選べるけど、子は親を選べない”のですから。もちろんいろんな親がいますかし、色んな事情から子供をスポイルする親も存在するでしょう。しかし映画というもので描くからには、ドラマに説得力が必要です。

ケンカの挙げ句、窓から飛んで出るなんて、とんでもない。それこそバカも休み休みイェ〜イですわ。←その程度の取組態度なら、とても人間を描けないぞと僕は言いたい。この映画に描いた寸劇(コント?)に、どんな説得力があると思って作っているのか、僕は基本的な態度を疑いたいわけです。

たまたまニュースで、モーガン・スパーロックというドキュメンタリー監督の訃報に接しました。彼は「スーパーサイズ・ミー」という映画で、ファーストフードの食事を食べ続けたら(店員のおすすめをすべて受け入れて、です)どうなるかをドキュメンタリーにしました。しかしモーガン・スパーロックには、明確な論理があります。

彼が参加した「ヤバい経済学」(2010)には、世の中の仕組みというものを見据えた哲学がありました。今回の「こどもたち」には、スパーロックの無謀な挑戦に感じられる“正義”が不在なのです。そんな映画、作る必要はないと僕は思う。とりあえず僕は、「ヤバい経済学」を見直して、溜飲を下げようかなと考えています。

なお原題「Figli」は、そのまま“子供たち”の意味のようですが、もっとシニカルな意味もあるのかな。あったとしても、この映画にはそこまで調べて弁護する気が起きません。やはりスルーするのが一番かも。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年05月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031